教員免許って必要なモノ?実は小さな子どもほど教えるのは難しい

 

教員の「資格」

教員に免許は必要か。もっというと、教員たる「資格」とはどこで手に入るのか。

大学に入れれば、普通は出ることができる現状を考慮する。そう考えると「免許がある」ということと、実質的に「教員たる資格がある」ことは、別である。免許は、取れる。しかし、本当に教員としてやる資格があるかは別である。

実際、何年やっても、本当に教員たる「資格」があるかは疑わしい。やってて「ダメだなぁ」と思うことがかなりある。失敗も相当にある。「聖職」と呼ばれた時代ははるか彼方ではあるものの、贔屓目に見ても自分が人格者であるとは到底思えない。

それでも、何とか仕事としてやっていけるのは、多少なりの「専門性」による。つまり、授業1つとっても、他職種の人がやるものとは訳が違う。そうでないと、専門職ではなくなってしまう。

この辺りは、結構誤解されやすい。特に、小学生には、大人なら誰でも教えられると勘違いされやすい。ここは本当に大きな誤解で、小さい人ほど難しい。「幼児にはさみの使い方を教える」ということを以前例に挙げたが、あれである。「はさみを使える」なんて当たり前すぎて、どう教えていいかわからない。同様に、算数ができないというのも、まずできない原因を理解するのが一苦労である。

体育なら、大きな技能差がある状態でのボール運動の指導を、全員が満足できるようにするのが仕事である。サッカーをやって遊んで「楽しかった」で終わるなら、知識も技能も何もなくてもできることである。

「子どもと遊ぶ」のも、誰でもできる。その行為を通して、子ども同士をつなげたり、関係性を意図的に変化させていったりするのが専門性である。

その点、教育実習は重要である。大学生から新卒で教員になるにあたり、唯一の現場経験ができる場である。どの授業を見ても、「あれぐらいの授業なら自分でもできる」と普通は思っている。「自分の受けてきた授業は面白くなかった」「自分ならもっとうまくやれる」ぐらい思っていることもある。それが健全であると思う。一般の見方と同じである。

そして、実際自分でやってみて、初めて挫折を味わう。これでやっとスタートラインである。「次こそは」と相当準備しても、まあ上手くはいかない。初めて「教材研究」の必要性を感じる。またやってみても、やっぱりダメである。

こういう必死の経験を積む中で、「技術」を少しずつ身に付けるようになる。同時に「使命感」や「やり甲斐」を少しずつ感じるようにもなる。そうやって、とりあえずの「免許」が手に入る。本当に教員たる「資格」らしきものが手に入るのは、教職についてからずっとずっと先である。

「先生と言われるほどの馬鹿でなし」

常に、自分にはその資格があるのか、自戒して精進したい。

image by: Shutterstock

 

「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術
著者/松尾英明
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