MAG2 NEWS MENU

内政問題だったはずの「靖国問題」を中韓に焚きつけたのは誰か?

中国・韓国との友好関係に影を落とす、慰安婦問題や靖国問題といった「歴史認識」の問題。これらは一体、どのようにして問題が顕在化していったのでしょうか。A級戦犯として裁かれた東條英機氏を曽祖父に持つ東條英利さんは、自らのメルマガ『東條英利の「日本の見方」』にて、その歴史的経緯を振り返っています。

昭和天皇が靖国参拝をやめた真の理由

今起こっている「靖国問題」にしても、当初から中国や韓国が日本を非難していたわけではない。どちらかと言えば、国内の報道を受けてから問題化している。

最初に問題化したのは、昭和50年に三木武夫首相が靖国神社へ参拝した時のこと。それまでも歴代の首相は靖国神社への参拝をしていたが、三木首相が戦後初めて終戦記念日にあたる8月15日に靖国神社へ参拝した。

これを受けてマスコミが騒ぎ出したのだが、ただ、この時問題視されたのは、諸外国との関係性ではなく、あくまで政教分離の問題だった。このため、三木首相もその立場を問われ、国会論争にまで発展した。

結局、三木首相は「私的参拝」と明言し、以来、三木首相による「私的参拝四原則」として、

(1)公用車の不使用
(2)玉串料は私費による
(3)記帳はあくまで個人で肩書きは書かない
(4)公職者を随行させない

というスタイルを歴代首相が踏襲することとなった。この時、いわゆるA級戦犯まだ合祀されてはいない

ただ、この政教分離問題は意外なところに影を落としたとも言われている。それが、天皇陛下の靖国親拝問題だ。

実は一部には、この問題を受けて、翌年の昭和51年から天皇陛下によるご親拝が控えられるようになったとも言われている。何故なら、陛下のお立場からすると、この三木首相の四原則をクリアできないからである。事実、いわゆるA級戦犯が合祀されたのはその2年後にあたる昭和53年で、陛下がご親拝を控えられた直接的要因としてみるには少しタイムラグがあるのだ。

しかも、ご親拝を取りやめになった後も陛下は毎年靖国神社に勅使を遣わせていることから、それなりのご配慮を示され続けていることは確かなのである。しかし、これを一時、日経新聞が「天皇陛下がA級戦犯の合祀に不快感」というタイトルで、富田メモのスクープ報道を行った。

しかし、私から見れば、当時小泉純一郎首相の靖国参拝によって中国との関係が政治的に疎遠になったのを受けて、経済界から何かしらの要請を受けたのではないかとも思っている。

何故なら、この報道の半年前に日経新聞の記者と一献交えた際、政治的中立性こそが日経新聞の本懐と関係者は自慢気に語っていたからである。仮にその言質を信じれば、この記事は日経新聞が扱うにはあまりにも政治色が強い、何か他ならぬ意図というものを感じずにはいられないのである。

しかも、これはあまり公には語るべきものではないが、私の叔母である東條由布子は、生前私にこんなことを言っていた。「昭和天皇の頃は菓子折を何度か頂戴しており、その後の東條家のことも気にかけてくださっていた」と。

無論、その真偽は定かではないが、少なくとも、本来、陛下は個人的な嗜好、つまりものの良し悪しを示すことはしない。以前「好きな番組や関取は誰か」と尋ねられた時も、明確な返答を避けていたことは有名な話である。これも陛下御自らが公人たる自覚をお持ち故の対応だと思うが、日経新聞そうした慣例を易々と破壊してしまった。そういう意味では、本報道は、天皇の政治利用を暗黙値で物語るため、極めて不敬な記事とも言える。

話は少し脱線したが、そんな三木首相の靖国参拝報道以降も福田赳夫首相をはじめ、大平正芳首相、鈴木善幸首相、中曽根康弘首相と歴代の首相は靖国神社への参拝を続けた(大平正芳首相以外は、この8月15日に参拝をしている)。ただし、この時まで中国はまだ何も言ってきていない。しかし、昭和60年になり、状況は大きく変わる。

以前、池上彰さんの番組では、中曽根康弘首相が8月15日の参拝に際し、「公的参拝」と明言したことによって問題が再燃。これを受け、中国が正式に「遺憾表明」をしたと紹介していたが、実はここにいくつか省略されている流れがあることを忘れてはならない。いや、そもそも問題視されていたのは、「政教分離」の問題であり、あくまで内政的な問題であったはずだ。しかし、ここで朝日新聞が8月上旬の段階で、「中国が日本の愛国心を問題視している」という記事を出し、以降、その批判記事を書き始めたのだ。

しかも、この中曽根首相の靖国神社への参拝から11日経過した8月26日に、日本社会党の田邊誠をはじめとした一団が中国へ訪れ、これらの報道を見せつけ「何故、中国は怒らないのか?」とたきつけたとも言われている。結果、翌日、中国の副首相姚依林(よういりん)が中曽根首相の参拝を公式に批判することになった。ちなみにこの田邊誠と言えば、ハマコー(浜田幸一)さんいわく、南京虐殺記念館の資金調達まで支援したと噂される人物である。

もちろん、この話のどこまでが信ぴょう性のある話なのかは分からないが、これら多くの根底には、日本側から発せられた情報に端を発することが少なくないという点にある。だから、私も必要以上に「中国が」とか、「韓国が」と一方的に非難するのがあまり好きになれないでいる。

そんな最近の靖国報道を見ていると「分祀論」まで出ているが、ここに存在する内政的な問題はやはり「政教分離の問題であり、実はそれ以上でも以下でもない。このため、ここでいう公の追悼施設の是非という話は分からなくはないが、「分祀しろ!」と外部が必要以上に迫るのは、一宗教法人に対する過剰介入の恐れがあり、明らかなミス・リードであると感じる。

無論、私は一崇敬者以上の要望を募る考えは持ち合わせていないが、こうした問題の多くは、本質論を大きく逸脱しているが故に感情論に走りやすいという性質は抑えておかなければならない。安保法制もまた然り。このあたりはまた次回にお話をしましょう。

image by: Shutterstock

 

『東條英利の「日本の見方」』より一部抜粋

著者/東條英利
いわゆるA級戦犯とされる東條英機は私の曽祖父でありますが、その直系の長男のみが、この「英」の字を継いでおります。私もその継承者として、時にはこの名を疎ましく思ったこともありましたが、戦後70年を迎える今こそ、この名前がもたらした様々な事実や経験、考えを語ってみたいと思っております。
≪無料サンプルはこちら≫

print

シェアランキング

この記事が気に入ったら
いいね!しよう
MAG2 NEWSの最新情報をお届け