美しいだけじゃない。「桜」が日本の象徴とされている本当の理由

 

「朝日ににほう山ざくらばな」の真意

それでは、この宣長の歌はどう解釈すればよいのか。文芸評論家の小林秀雄はこう解説している。

大和ごころっていうことばを使っているけどね、あの歌はそう理屈っぽく大和ごころを説明しているんじゃないんだよ。もっともっとすなおな歌なんだよ。

 

宣長は、とてもさくらの花がすきだった。遺言状に、墓はそまつな墓にしろ、うしろに山ざくらをうえろ、それもよくぎんみしていちばんいい木をうえて、かれたらとりかえろ、と書いたぐらいだからね。

 

だからあの歌は、さくらを愛するあまり、さくらの美しさを、愛情をこめてほめた、すなおな歌だと思えばいいんだ。「しきしまのやまとごころを人とわば」っていうのは、ただ「わたしは」という意味にとって、この歌は「さくらはいい花だ、実にいい花だと思う」という素直な歌だととればいいんだよ。

この歌が時代を超えて愛唱されてきたのは、「やまと心」を説いた理屈ではなく、「朝日ににほう山ざくらばな」という情景が、人々のやまとごころに直接訴えてきたからだろう。

「やまと心」と武士道

とするなら、新渡戸稲造が『Bushido』で、宣長の歌を武士道に結びつけるたは、勝手な牽強付会なのだろうか?

「長生きしたい」というような人間の素直な「やまと心」からすれば、いざとなれば潔く命を散らす武士道は「例のうるさきいつはり」なのか?

新渡戸は武士道の最初の徳目として「」を上げている。たとえば、困っている人々を見て、なんとか救いたいと願うのは、人間の自然な情だろう。

東日本大震災で仙台市では35万世帯の都市ガス供給がストップしたが、その復旧のために、全国30ほどの業者から約3,000人の技術者が集まり、ガス管の損傷確認と1軒毎の開栓作業にあたった。

「お客さんのガスを止めるというのは、ガス業者として断腸の思い。同業の仲間として放っておけない」と関係者は語る。また新潟柏崎市から8時間もかけて車で駆けつけた技術者は「中越沖(地震)の際には仙台市にも助けてもらった。やっと恩返しができる」と語る。

この3,000人の人々は、人間としてのごく自然なやまと心で立ち上がったのである。

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