それならどうやって自尊心を与えるのでしょうか。もともとアメリカ式が目指したものは、子供に自尊心を与えることでしたからね。褒める以外に何か方法があるんでしょうか。特に日本のように自尊心が低い民族にとってはナオサラ重要な点ですよね。
そこで自尊心ってモンをよくよく考えてみるべきだと思うんです。自尊心を辞書で引いてみると
「自分の人格を大切にする気持ち」
とあります。自分で自分の人格(品性とか人間性とか自信とか言い換えてもOKだと思われますが)を「すごいな(☆_☆)♪」と思うってことでしょう。「自分で」自分のことをすごいと思えるって、じゃあ「他者に」自分のことをすごいと思ってもらえたときは、どうなんでしょうか。多分、「自尊心が育まれることはない(◆_◆)」んだと思います。まあ、私の考えですが。
褒めてくれるのが自分なのか他者なのかということが、決定的に違うと思うんですよ。
この話の本質は、自尊心の根拠が「他者承認にあるのか自己承認にあるのか」というところだと思います。他者にスゴイと褒めてもらえた、他者から与えられる賞賛、それを他者承認というのですよ。ところが、(ご存じのように)これはカンタンに覆るものです。誰かが褒めてくれても他の誰かは褒めてくれないということはよくあることですし、昨日は褒めてくれたけど、今日は無反応ということもよくあることです。だから、そこに自尊心の根拠を求めてしまうと、とても不安定な自尊心になってしまうでしょう。もっと安定した、堅固な根拠が欲しいモンじゃないんでしょうか。
つまり、誰からも奪われることのないもの、「自己承認」によってこそ、自尊心は育まれるのだと思います。そして、自分で自分を「私は結構スゴイのよ」「おれはできるヤツなんだ」と思えるのは、結局「過去に成し遂げたことを自分で知っているから」です。言ってみれば、実績という根拠があるということです。
- 毎日玄関を掃除した
- 日記をずっとつけている
- 小学校の6年間は皆勤賞
- 宿題の提出期限を破ったことはない
- 3年間一度も部活を休まなかった
…こういう、ささやかだけどやるとなったら結構タイヘンなことをちゃんとやった! と自分で知っていることです。他者が褒めてくれなくてもきっと自分のことをすごいと思えるでしょう。
もしこのように自尊心の根拠が自己承認にあるなら、真に必要な教育とはその子の発達レベルに応じた「課題を設定してそれをやり遂げさせること」だと思います。やり遂げたら、派手に褒めてあげてくださいね。お子さんの顔が赤くなって鼻のアナが広がっちゃっうくらい(笑)。調子に乗ってもソコはOK。高くなった鼻をへし折られるような出来事は、生きていればすぐにまた起こるから。
自分を信じる気持ちは、自分で養う。それは他者から与えられる賞賛では育たないものなのです。
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