モルガン財閥の大富豪に惚れられた「日本人女性」波乱の半生

 

その後、昭和13年にお雪は日本に帰国します。伝説の玉の輿芸妓の帰国とあって結婚当時と同様大騒ぎとなり「金に目がくらんだ女」と世間の冷たい視線にさらされたようです。帰国後お雪は京都でキリスト教の洗礼を受けました。お雪は熱心なカトリック信者として質素に余生を送っていたそうです。そんな中、1939年(昭和14年)第2次世界大戦が始まります。夫ジョージの祖国アメリカとの激しい戦争が続きます。お雪は夫の友人を通じて京都には爆撃をしないようにと働きかけたと伝わっています。

アメリカ空軍の作戦では原爆投下の候補地に京都も含まれていました。しかし、京都は歴史的文化遺産があるという理由で選ばれなかったというのが定説となっています。モルガン財閥は当時のアメリカ大統領のスポンサーとしてアメリカ社会に影響力を持っていたと言われるぐらいの一族です。お雪が住む京都に原爆を落とすなと命令するぐらいのことは出来たでしょう。ただそのような指令が存在したという文献など確認出来るものはないようです。しかし祇園ではお雪のお陰で京都は助かったと言うのが常識となっています。

金閣寺の近くに東大文字山という小高い山があります。五山送り火で点火される山の1つです。その麓にカトリック衣笠教会があります。西大路通りをずっと北に上がって行くと北大路通りの西側に突き当たります。真っ白い聖堂のカトリック衣笠教会はこの「ドン突き」にあります(京都では突き当たりをドン突きと言います)。京都市内にお住いの方なら通りに面しているのでこの建物を見たことがあると思います。教会の裏側の金閣寺のほど近くにある小さな丘にかこまれた墓地に、お雪の白い十字架の墓があります。墓にはテレジア・ユキ・モルガンと名が刻まれています。テレジアはお雪の洗礼名です。

カトリック衣笠教会は聖堂としては京都初のコンクリートの建物です。そして現存するこの建物はお雪の寄付によって建てられたものです。

そしてもう1ヶ所墓所があります。それは、お雪の実家加藤家のお墓がある東福寺の塔頭たっちゅう同聚院です。平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像を造り、仏師の父と言われている定朝の父・康尚(こうしょう)作の不動明王が祀られているお寺です。

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