モルガン財閥の大富豪に惚れられた「日本人女性」波乱の半生

 

お雪の生家は刀剣商を営む名家でしたが、お雪が生まれて間もなく父親は亡くなりました。その後お雪たち三姉妹は仕方なく祇園の芸妓になったそうです。もともと名家の血が流れていて、 おそらく教養も気品もあったからジョージ・モルガンの目にも留まったのでしょう。

家運が傾き貧しかったために14歳で芸妓となり、未成年のうちから家計を支えるために働く日々は辛かったでしょう。今のような花形商売じゃなかった時代は苦労して働いていた芸舞妓も珍しくなかったようです。後にジョージ・モルガンと結婚し、莫大な遺産を譲り受けてもその額を勘ぐられ、妬まれ苦しむこともあったでしょう。

お雪の一生は金に振り回された一生だったからでしょうか、晩年は財産のほとんどを寄付していたようです。帰国後は質素な生活を続け、1963(昭和38)年、京都の紫野、大徳寺の近くの自宅で81歳で亡くなりました

晩年を過ごした大徳寺付近の自宅はどの辺りか分かりませんが、暮らしたことのある場所が市内中心部、四条烏丸に現存しています。柳馬場蛸薬師(やなぎのばんばたこやくし)を少し上がったところに「五行というラーメン屋があります。ラード油で醤油を焦がした真っ黒のスープのラーメンが有名なお店です。その裏に隠れ家的なバー「離れバー蔵」があります。お雪が住んだ場所がこの蔵のような家で現在はバーとなっています。バーは蔵を改装したもので、ガラス張りの床の下には大きな金庫があるそうです。さすがはアメリカの金融王の奥さんですね! 今度一度お店に伺って見てみて下さい。

祇園ではお茶屋加藤が現在も営業されています。白川南通と新橋通が交わる祇園新橋白川です。巽橋と辰巳大明神のある付近で、まさにザ・祇園という場所にお茶屋さんを構えています。「雪香さんねえさん」の後輩たちが今も雅な世界で活躍しています。

ちなみにジョージ・モルガンとお雪が横浜で結婚式を挙げた1905年1月20日にちなみ現在1月20日は玉の輿の日」なんだそうです。当時、お雪は日本のシンデレラと呼ばれていたそうですよ。

玉の輿の語源について詳しくは、(おもしろい京都案内第12号)を。

「玉の輿」ニッポンのシンデレラ「桂昌院」

いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: Wikimedia Commons

 

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