海外記者が断言。日本ほど「ランニング中毒」な国はない

 

箱根駅伝は、まるで英国クリケットのような伝統的国民スポーツだ

前述した箱根駅伝についても、まるでイギリスのクリケットのような国民的スポーツのようだと語り、日本人の箱根駅伝に対する情熱について指摘しています。

新年早々に開催される箱根駅伝は最適なお茶の間のエンターテイメント。

しかし、2日間という長時間に渡る放送のため、たとえどこかに外出して戻ってきても、まだ選手は走行しているので「さあ、今はどこが勝っている?」なんて気になってテレビを見てしまうし、たとえ駅伝の熱烈なファンじゃなかったとしても、人々は当たり前のようにテレビをつけっぱなしにしているので釘付けになってしまう。

また、コースの近くに住んでいる人はまるでフランスの「ツール・ド・フランス」のように応援に駆けつけては、また家に戻ってテレビを見ているのだろうと、箱根駅伝が文化として根付いていることを指摘しています。

ビジネス的かつ精神的な側面をもつ日本のランニング文化

またNewsweekの記事でも、フィンの著書をさらに掘り下げています。

同紙ではアフリカが勝つ為に走っているのであれば、日本人にとってスポーツは「ビジネス的」でありながら「精神的」であると筆者は印象を語っています。

ビジネス的な部分についていえば、2013年のトップ100ランナーの内、9割以上がアフリカ勢で占める中、日本人は5人でした。

日本でのマラソン選手は国民的なアイコンとなり、多くの企業によって経済的なサポートを得ることができます。

イギリスでは大多数がアスリートでは食べていけないのです。

それに対して、日本では大手企業がプロの選手のスポンサーとなることで、自身のビジネスを様々な大会にてアピールすることができるという利点があります。

一方で、作家の村上春樹氏の著書「走ることについて語るときに僕の語ること」や、仏教の巡拝行の「千日回奉行」を例に「精神的」な側面にも触れ、心と体に対して望まないことをさせることによって、粘り強さ忍耐意欲が必要となる状態が、スピリチュアルな側面へとつながっていくということが、走ることが好きな日本人の性質に重なるのではないかという見方をしています。

彼の著書を読み終わった読者からは様々な反応が。

別世界に対する素晴らしい洞察だった!」

日本の駅伝に出ることが死ぬまでにしたいことリストにはいったよ!」

「日本のランニング文化に関する素晴らしい本。とてもおすすめ!」

「日本のランニングメソッドや信念に関しての深い考察ができたわ。長距離ランナーとして企業に所属してお給料をもらえるなんて、とてもユニークね」

「世界から孤立した日本のランニング文化について書かれたとても禅な本だったわ。1月に駅伝を見に行かなきゃ!」

外国人の視点から見た日本は、走る文化という単一の要素だけでは説明がつかず、日本独特の精神的文化、企業の慣習、慣例、宗教観など様々なことが合わさって、長距離走を好む日本人を生み出してきたようにも思います。

そんな日本は海外の人にとって、まだまだ未知なことがたくさんあり、時には不可解でありながらも、ミステリアスな魅力で溢れているのかもしれませんね。

image by:  GIPHY

source by:  Men’s Journal Newsweek, Google Reads

文 臼井史佳

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