戦争はなぜ起こるのか? 意外なところにあった「究極の原因」

 

最後に「言葉」と「アイデンティティ」について考えよう。この二つは密接に関係している。「言葉」は不可避的に「同一性(アイデンティティ)」を孕むからである。山極は「アイデンティティ」を帰属意識だと考えているようだ。自分は特定の集団に属しているという意識である。家族への愛は、敷衍されて帰属している集団への愛に代わり、最後は愛国心という話になる。大相撲で郷土力士を応援するのも、高校野球で母校を応援するのも、オリンピックで自国の選手を応援するのも「アイデンティティ」のなせるわざというわけだ。

帰属している集団があることは帰属していない集団もあるわけで、帰属集団への愛は時に帰属していない集団に対する憎しみに変化しやすいのだろうか。対立している他集団へのコンプレックスが強いとき、他集団への憎しみは集団ヒステリーのようになって国を挙げて戦争に突き進む原因となることも多いのは、先の第二次世界大戦の始まる前から敗戦までの、日本の状況を考えればよく分かる。鬼畜米英と叫んで、敵への憎悪と戦争に勝ちたい願望が頭を占拠して、現実が全く見えなくなってしまったのだ。

山極の洞察で一番鋭いのは「言葉」が戦争の原因だと指摘したことだ。言葉がなければ概念もなくしたがって国家などと言う実在しない概念を守ろうなどと考える人もいなかったろう。個々の個物としてのイヌは現象として実在するが、イヌ一般は実在しない概念なのだ。個々のがん患者は実在するし、個々の病状も実在する現象であるが、「がん」という名で表される概念は実在しないのである。

アリストテレスは『命題論』で「名称は約束によって意味を持つ音声で時を含まない」と述べた。この物言いは真に正しいと思われる。名は常に不変の同一性を孕むのである。しかし、すべての現象は不変ではありえず、したがって不変の同一性を孕む名によって表される概念もまた実在しない。残念ながら、このことを理解している人は多くない。もしかしたら、これこそが究極の戦争の原因かもしれない。

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池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋

著者/池田清彦(早稲田大学教授・生物学者)
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