無名時代の三谷幸喜が関わっていた、ビートたけしの戦国時代劇

 

さて、この架空番組の中に「たのきん太閤記」(だったかな?)というのがありました。 田原俊彦が織田信長、近藤真彦が藤吉郎(後の豊臣秀吉)、野村義男が松平竹千代(後の徳川家康)です。 柴田勝家が小松正夫さん、今川義元が故田村高廣さん(田村正和さんのお兄さんですね)。 暗殺を狙う風魔小太郎にビートたけしさん、その配下で爺や役が片岡鶴太郎さん。 なかなかの配置ですね。 バラエティ番組のコーナー企画ながらセットや衣装も本格的にして、目玉コーナー企画でした。

脚本は劇作家で舞台演出も手掛けられていた水谷竜二さん。 この時、水谷さんが一緒に連れてこられたのが、当時まだ下積み無名の構成作家三谷幸喜さんです。 最初は水谷さんの弟子だと思ったくらい。 実際はどうだったのかな?水谷さんの原稿は、いつも三谷さんが届けて来られました。ということはですね。 「真田丸の遥か前に三谷幸喜さんが関わった戦国時代劇があったということです。

後にコーナー企画も書いていましたが、結構原稿が遅く、本番当日にファックスで届いたことも。 私はADだったのでがんがん督促する側でした。 そのせいか、顔を覚えられてしまいました。 私がWOWOWにいたころ、もう偉くなった三谷さんとばったりエレベーターで遭遇したことがあります。 そのとき三谷さんは「あっ。 この人覚えてる。 僕が一番会いたくない人!」。いつか名誉回復したいと思っていますが以来、残念ながらお目にかかる機会がないまま今日に至っております。

 

 

ロサンゼルスで起業してしまったボクの本気メルマガ!』より一部抜粋

著者/海部正樹(米国法人WOWMAX MEDIA LLC代表 / プロデューサー)
政治家の二世なのですが、テレビディレクターやアニメプロデューサーになりました。親は嘆いたでしょう。しかも42歳で渡米、その後ロスで起業と来た日には、人生どう転がるかわかったものではありません。そんな私が異国で今日も体験している「海外の起業」と「海外での継業」を中心にいろいろ書かせて頂きます。それと「米国ローカルの時事ネタ」や「10年暮らしてわかる生活ネタ」もご紹介します。
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