機動隊員が沖縄県民へ「土人」と発言する空気は誰が作ったのか?

 

吉本新喜劇は面白い。コメディは人の愚かさを嘲ることでもあり、そのどうしようもない人間を包み隠さず表現するところに醍醐味がある。庶民劇の中心だから、行きかう言葉も庶民が普段使う会話となるから、それは放送コードとはかけ離れた庶民コード。そこには差別的な言葉も残ったままだ。残ったままなのは、社会には差別意識が残ったままだから、であるが、この線引きが難しい。

「マスクをしたままマスクの真ん中に穴をあけてタバコを吸っとるおかしいおっさん」

「電車の中で隙間8センチなのにお尻を入れて席を確保しようとするおばはん」

「スキニージーンズをはいて足の血が止まりそうになっている太った女の子」。

劇中や漫才で口から表現されるそれらのキャラクターやエピソードはすべて「おかしい」、そして「面白い」。これは「普通」と思われることとのギャップであり、笑いの中に「普通」の設定がある。それはごく自然に出来上がった庶民感覚の「普通」と「変」の境目である。これを巧みに表現するのが、お笑いの世界。

ブレヒトの「三文オペラ」がそうであるように、時にはその庶民の発言の一つひとつが権力に対峙する言葉だと受け取れなくもない。

大阪府警の若い機動隊員の「土人」発言は、その「オオサカ」なる環境で培われたもので、受け手からすれば由々しき「差別発言」ではあるが、その脈絡は琉球処分以降の沖縄の歴史を紐解いた上でなされたものではない。

政府という権力により治安維持の名目で「対峙」させられた立場の中で、相手と実際に肉体的に対峙する中で出た感情的な言葉である。この感情とは、相手を侮蔑するよりはむしろ、邪魔をする行動を嫌悪するところから生まれたもので、彼は警備をしなかったら、そんな言葉は出なかっただろうし、沖縄に観光に来て、現地の案内人に土人などと発言はしないのだろうと思う(勿論、本人の性格も分からないが、概ね常識的な線として考えたい)。

使えない言葉が増えたことで、差別はなくなったかもしれないが、その努力も虚しく、対立構図の中には、差別や優越の思想が入り込みやすい。

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