ペットボトルが開かない。些細なことから親の異変は始まっている

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胸を張って「親や祖父母が感じている不自由に気づいてあげられている」と言える方、はたしてどれくらいいらっしゃるでしょうか。無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』によると、現代の高齢者は子供に心配をかけまいとその「不自由」を隠すことも少なくないそうです。手遅れになる前に気づいてあげられる手段はあるのでしょうか。

ペットボトルのフタが開かない?

さて、本日はちっこいけど重大な不自由のお話。

最近、針穴に糸を通しづらくなったことに気がつきました( ̄□ ̄;; 子供の頃一緒に住んでいた祖母について、「どうしてこんな簡単なことができないんだろ?」とフシギに感じていたのが糸通しでした( ̄□ ̄;; 明らかに見える針穴が祖母には見えにくくなっていたわけですが、とうとうその祖母の視力を体験できるようになってしまったんです。どひゃー!

おそらく老いるということは、日常のささやかな行為に不自由を感じることを言うのでしょう。たとえば

  • トリセツの字が小さすぎて読まない
  • 階段の手すりが握りにくくて二階に上がらない
  • ケータイの通話音量が小さすぎて聞き取りにくい
  • 鉄鍋が重くて調理をしない
  • 物干しが高い位置にあって洗濯ものを干さない
  • ペットボトルのフタが開かなくてお茶を飲まない

こんなふうでしょうか。さすがに私にはまだこういうコトはないんですが、遠方に住んでいる両親には、こんなことのひとつやふたつやみっつは、きっと起っているはずです。こんなふうに身体機能が衰えてくると、握力も視力も脚力もすべてが弱くなってしまい、以前はフツーに出来たことが出来なくなってしまいます。それも日常生活にゴロゴロしていそうなささいなことなんです。

…ま、そうは言っても、こういう不自由はこれまで連綿と続いてきた人類の歴史の中で、すべてのトシヨリたちが通って来た道です。ところがね。現代のトシヨリには、以前と違う特徴があると言われています。それが「不自由を言わない(●_○)」ということです。以前はもっとずっと大人数で暮らしていたわけです。そのため日常生活の不自由を周囲が気づきやすくまた本人も言いやすかったのでしょう。

つまり少人数で、しかも離れてくらしていたりすると、こうした不自由を言い出しにくく気がつきにくくなるわけです。

長くなってきたので、続きは次ページ。

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