現代のトシヨリたちは、身体が衰えて不自由になった日常生活について、子供たちに語りたがらないというトコでしたね。まあ、こういうのは昔だって「言う」というより「周囲が気がつく」ものだったのかもしれません。
その意味で遠くに離れて家族が暮らしていると、当然そうした些細な変化に気がつけなくなります。親側にしてみても、まさか電話で「ペットボトルのフタが開かないの(泣)」なんて、言えませんよね。そこには親なりの
- メイワクをかけたくない
- グチを言っていると受け止められたくない
- 心配させたくない
という気持ちが潜んでいるんです。念の入った方だと、子供家族が帰省してくる前に、いつも飲んでいるクスリを隠したりするそうです。
…なんか泣けてきますね(/_;) ペットボトルのフタを開けられないほど握力が弱っているくせに子供のことばかり心配して。自分の心配をして欲しいですよね。ペットボトルのフタでさえこんな有様なんですから、もっと重要な
- 精密検査だと言われた
- 手をついたら骨折した
- 風邪をこじらせて1週間寝込んだ
- 住所がパッと思い出せなかった
- ちょっとクルマをこすってしまった
なんていう、老いの深刻さをカンジさせるような出来事はもとより言わないわけです。こうした親の遠慮に基づく「言わない」ということが、遠距離家族の事態を深刻にしているんです。もっとずっと重大な状態になってから、病院や警察、近所の人の連絡で知ったなどということが起こりうるのです。
もとより、こうなってからでは打てる手は限られてしまいます。病院に相談して様子を見るとか、食事をどうするとか、リフォームすればとか段階はぜーーーーんぶすっ飛ばして「遠距離介護(○@;;」になってしまうわけですよ。その前に、親ならでは親心理を理解して、子供の側から話しかけることが大切なのでしょう。向こうから話してくれるのを待つのではなくこちらから話しかけるんです。別に簡単なことですよね。ちょっとケータイで電話するとか、メールするとかするだけですから。その日常のささいな行動によって、日常のささいな不自由をキャッチ出来るのです。
用がなくても、ちょっと声だけ聞いてみる。それだけでも親が不自由をクチに出しやすくなるのかもしれませんね。
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