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【書評】残酷な延命治療で「死なせてもらえない」高齢者たち

少子高齢化問題が叫ばれている日本ですが、2025年には高齢者人口は約3,500万人にも達するといわれています。無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』の編集長である柴田忠男さんは、最近読まれた1冊の書籍を紹介しつつ、今後ますます深刻化する高齢化社会に向け、終末期医療と介護について国民レベルで考えなければいけないところまで来ていると警鐘を鳴らしています。

平穏死という生き方』石飛幸三・著 幻冬舎

石飛幸三『平穏死という生き方』を読んだ。変なタイトルである。「平穏死」のあとにある言葉を略して「生き方」につなげているのだとはわかるが、いかにもあざとい。さすがに幻冬舎。前にも読んだことがある内容だと思ったら、系列の出版社から出した『「平穏死」という選択』と『こうして死ねたら悔いはない』を加筆修正、再編集、合本したものだった。一つの大見出し毎に、終わりの1ページを使って文中から肝になる一文を抜き出して、ここが大事だと示す、いつもの幻冬舎式ページ増加仕様になっている。相変わらずうまい本作りだとは思うが、わたしは嫌いでいつもくさしている。

2025年には団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、高齢者人口は約3,500万人に達する。老人の激増は医療と介護問題の深刻化を招く。少し先の未来には「超高齢化多死社会」が到来する。著者は6年ほど前から、「平穏死」という言葉を用い、終末期の高齢者に胃ろうなどの過剰な延命治療を施すことは本人を苦しめることになる、自然で安らかな死を迎えさせてあげようではないかと、終末期医療と介護のあり方を変えようという問題提起を続けている。老衰末期に医療はどこまで介入できるのか、人間の尊厳はどう守られるべきか。この問題を今こそしっかり国民レベルで考えなければいけないときに来ている。

介護保険制度により高齢者の生活が医療と介護に縦割りにされ、崇高であるべき人間の終焉を分断する結果になった。それに追い打ちをかけるのは、自然な最期を迎えられる高齢者に対して、延命する方法があるからしなければならないという延命至上主義である。死に向かう人がものを食べない、水も飲まないのは、身体がエネルギーの補給を要求しないからだ。むりやり摂取させるのは本人を苦しめるだけだ。老化の果ての老衰という状態は病気ではない。自然の摂理である生命の老化と終焉、つまり老化と死には医療の力は届かない。自然に枯れていくのを阻止しようとする、無意味で残酷な医療が延命治療である。

死ぬときは苦痛が伴う、できるだけ緩和しなければならない、というのが医療の常識だったが、著者が常勤医の老人ホームでは今まで看取ってきた200人を超える人たちに緩和ケアはまったく不要だった。老衰の身体には、脳内モルヒネといわれる神経伝達物質が発生し、痛みを緩和しているらしい。老衰というのは生きものとして本当に自然な幕引きなのだ。老衰によけいな医療的処置はするな、こういう本音を漏らそうものなら、やれ高齢者を見殺しにするのか、それでも医者かとヒステリックに叩かれる。現在の日本は実に変な社会だ。無理やり生かされている気の毒な人は、今後も増え続けるかもしれない。

image by: Shutterstock

 

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