【書評】ガリガリ君はなぜ水色?ヒット商品はこうして生まれる

 

「ガリガリ君」をはじめ、数々のヒット商品を生み出し続ける赤城乳業。しかしそこに至るまでには、オイルショックによる売り上げの低下をはじめとするさまざまな困難があったといいます。一時は倒産の危機にまで陥った同社は、なぜ業界を代表する企業になり得たのでしょうか。今回の無料メルマガ『ビジネス発想源』では、そんな秘密が記された一冊が紹介されています。

置き換えてみる発想

最近読んだ本の内容からの話。

1970年に東京農業大学を卒業した鈴木政次氏は、埼玉県深谷市にある赤城乳業に入社した。赤城乳業は6年前に井上社長が作った「赤城しぐれ」というかき氷のアイスがヒットし、その「赤城しぐれ」を商品の柱とする年商20数億円規模の中小企業だった。新卒入社で商品開発部に配属された鈴木氏は、「赤城乳業を年間売上500億円規模の会社にする」という夢を持って、新商品開発に勤しんだ。

1979年、オイルショックによって消費が冷え込んで赤城乳業は急激に売上が低下し、倒産の危機に陥ってしまった。鈴木氏がリーダーを務めていた商品開発部では、「赤城しぐれ」に匹敵するような会社の柱となる商品を作ることが緊急課題だった。そこで当時大人気だった「ルパン三世」や、漫画家の池田理代子の漫画をパッケージに採用したが、瞬間的にはバカ売れするものの、所詮借り物のキャラクターの企画なので長続きしない

鈴木氏は「ワンハンドのかき氷のアイスを作る」というコンセプトで商品を考えていた。当時のアイスは、「赤城しぐれ」のように、片手にカップを持ち、もう一方の手でスプーンを持って食べるのが主流だった。だから、コンピューターゲームや漫画本が人気の高まっている今、ワンハンドのかき氷のアイスがあれば、食べながら遊べて喜ばれると考えたのである。

赤城乳業は「赤城しぐれ」がヒットしていたから、そのフレーバー(味)である白、いちご、練乳あずきを使えば比較的すぐに新商品はできあがる。しかし、鈴木氏はそれらを絶対に使わない、ということを宣言していた。もし「赤城しぐれ」と同じものを使ってしまうと、「カップの『赤城しぐれ』をバーにしただけだから、カップがなくなった分安くしろ」と言われるに違いなかった。

なので、新たな価値を提案するために、あえてヒット商品を否定したのである。

どんなフレーバーにするか考えた時、鈴木氏は歴史を紐解こうと思い、日本の飲料の歴史について書かれた本を読み漁り、一番長く愛されているのは何か、調べてみた。答えは、ラムネだった。幕末にアメリカのペリー提督率いる黒船が来航した際に、艦に積まれていたのがレモネードで、それがなまったものがラムネである。

ラムネやサイダーであれば、子どもたちにウケる。ただ、炭酸を固めるとただの白になってしまい、美味しそうには見えないので、何か色をつけなければならない。子どもたちには外で食べてもらいたかったので、空や海をイメージした水色にした。

こうして、1981年、ラムネ味の「ガリガリ君」が発売され、赤城乳業を支える大ヒット商品となり、赤城乳業は年商400億円を超える企業となった。今でこそ、アイスの「ソーダ味」と言えばブルーの色をイメージするのが一般的だが、ソーダに水色をつけたのは、「ガリガリ君」が初めてである。

赤城乳業で「ガリガリ君」をはじめ数々のヒット商品を生み出し、現在は同社の監査役となっている鈴木政次氏は、人は追い込まれると集中する、と語る。

新しいヒット商品を作りたいと思ったらまず、目の前にある自社のヒット商品を「否定する」。否定からスタートすることで自分の逃げ場をなくし、自分を追い込むことができる。

追い込まれると、ゾーンに入る、つまり普段想像できないような力を発揮する。「否定新しいことにつながるチャンスであるということを覚えておくべきだ、と鈴木政次氏は述べている。

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