次にトランプ氏にチャンスが訪れたのは、ウエスティン・ホテルズが青木建設に買収された1988年のこと。奇しくもその機会を作りあげたものは、1985年9月22日にプラザホテルで締結された“プラザ合意”だった。日本経済は「プラザ合意」で引き起こされたバブル経済の真っただ中。「プラザ合意」を決めたG5の日本代表として参席した当時の大蔵大臣は竹下登氏。その元秘書だった青木宏悦氏率いる青木建設が約1730億円でウエステインホテルズを買収する。
その際に、2つのホテルを売るという条件が含まれていた。プラザホテルは415ミリオンダラーでトランプ氏に、そして、ロックフェラーが造った超豪華リゾート、マウナケアビーチホテルは315ミリオンダラーで西武鉄道に売られていった。
1975年に25ミリオンダラーだったホテルを13年後の1988年に415ミリオンダラーの値段で買うには相当の無理があったに違いない。50ミリオンダラーまでしか出せなかったトランプ氏が、わずか13年間でいかに巨大な力を持つに至ったかを象徴する数字とも言える。だが、その“つけ”が、後年回ってくることになるとはトランプ氏も予想がつかなかったのだろう。
(つづく)
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オフィスに戻ると、同僚が泣きじゃくっていた。「どうした?」「今朝レイオフになったわ。今日の5時で皆とお別れよ」私がプラザホテルに赴任した1994年から最初の2年間はレイオフの嵐が吹き荒れた時代。プラザホテルを溺愛したオーナー、ドナルド・トランプ氏も破産の危機に直面。最良のオーナーを失いかけた世界最高峰のホテルは競売へと傾いていく。恐怖に怯える私にできることは、ニューヨーカーたちの働きぶりを一心にまねることだけだった。ここに私が学んだニューヨーカーたちの生き方、考え方、そして人生観について述べてみたい。