話が横道にそれてしまった。 温泉の「色」のことに戻そう。
『温泉批評』の最新号である2016年秋冬号で「にごり湯の誘惑」という特集をしていて、「濁り湯は熟女の魅力!?」と題した座談会が掲載されている。
タイトルを付けたのはむろん編集長だが、なかなかいいタイトルだと思う。
無色透明のピュアな温泉が、時間の経過でさまざまな色に変化し、個性をまとっていく様子は、確かに純真無垢な少女と多彩な魅力を持つ熟女の違いに例えるとイメージしやすいと思う。
それをイメージしつつ、先の「自然な酸化」と「人為的な酸化」の違いを考えてみてほしい。 熟女の魅力とは、自然に歳を重ねることで経験を積み、例えばの話だが、ある種の包容力を持つことのようにも思う。
若い少女は純真無垢な故に自分にも他人にも厳しいことも多く、ある意味「尖った」部分が残っているようにも思う。
温泉も同じように、フレッシュな故に、肌あたりが尖っていたり、刺激が強かったりする場合もある。 自然に酸化した濁り湯は個性的な色をまとい、肌あたりが優しく、まろやかであることが多い。 といって、フレッシュ感がないか、というと、あながちそうとは言いきれない。 むしろ、悪い刺々しさが軽減され、いい意味でのフレッシュ感が残って、それが際立つという感じだ。
「自然に」エイジングが進んだ湯でなければ、こうはいかないだろう。
泉質によっては、循環することで色が飛んでしまうものもある。 含鉄泉などはその代表格で、湯から分離、析出した鉄分がろ過器で漉されてしまうので、色が極端に薄くなる、あるいは透明になってしまうことも少なくない。
含硫黄泉も塩素消毒すれば、お湯と硫黄は完全に分離析出してしまう。 よって湯の花と透明な湯が混じっている、という状況になる。 こうした透明な湯と、同じ硫黄泉でもフレッシュさ故の透明な湯とはまるで違う。
これは、僕が通っている草津温泉の湯を例にとればわかりやすい。
というところで、無駄話を含めて長くなってしまったので今回はここまで。
次回は温泉の肌触り・浴感とフレッシュ感について書いてみたい。
どうぞお楽しみに。
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