温故せぬ国に知新なし。大切な「古典教育」を見下す文科省の愚

 

「思考の持久力」

アクション・ラーニングという思いつきから、こんにゃく作りの授業を考える暇があったら、まずは、明治維新を成し遂げ、近代国家を作りあげたわが先人達の世界史的に見ても希有な「問題解決能力がどこから来たのか事実に基づいて考えるべきだろう。

明治日本という近代国家を造り上げたのは、江戸時代の素読中心の学習をてきた者たちである。伝統的な教育の最たるものである素読を中心とした学習によって育てられた者たちが、なぜ世界史上まれにみるほどの急速な近代化をなしとげることができたのか。この逆説をよく考えてみる必要がある。
(同上)

齋藤氏は、その逆説を福沢諭吉のケースを通じて考えている。諭吉は西洋諸国の文明を学び、科学など役に立つ学問を重んじた。しかし、幼い頃に受けた教育は「孟子の素読から始まる漢学だった。

とりわけ得意だったのは「春秋左氏伝(しゅんじゅうさしでん)」で、「大概の書生は左伝十五巻の内三、四巻でしまうのを、私は全部通読、およそ十一度び読み返して、面白いところは暗記していた」。

読書は伝統的な教育の柱であるが、11回読み返すという常識を超えた行為、これはもはや主体的な、アクティブな活動であるといえるのではないか。
(同上)

春秋左氏伝は中国の紀元前700年頃から250年間の歴史を描いた史書で、岩波文庫版では3分冊で各巻500ページ近い分厚さである。

問題解決を行なっていくためには粘り強い思考力が必要となる。困難を目の前にしてもひるまずに取り組み、持続的な思考を維持する、いわば「思考の持久力」が求められる。それを養成するためには、名著と呼ばれる「古典」を読むことが効果的である。
(同上)

古典は、最初はよく分からなくとも、何度も読み返していくうちに、人間とは社会とは何かについて著者と深い対話をするようになる。その面白さが11回も読んだ原動力になったのだろう。

こうした学問の面白さは、こんにゃく作りを1時間くらいしたのとは比べものにならない深いものだ。それを体験することは、生涯にわたっていろいろな分野に挑戦していく原動力となる。

外国語との格闘

長崎に遊学した後、諭吉は大阪の緒方洪庵の適塾で本格的にオランダ語を修行する。

…塾ではオランダ語の試験があり、徹底的に読む訓練をしていた。福沢自身も、読解をするという地味な勉強をひたすら何年も熱心に続けていたという。月に6回も試験があり、オランダ語を読む実力があるかないかが明確な基準ではかられ、順位がつけられる。

 

これは各人それぞれのテーマで研究し、レポートを出すといった種類の教室とは全く異なる。個性や主体性といった要素ではなく、外国語を読むための語学力がひたすら求められる。そうした修行を何年も積んだ結果、福沢には外国語の読解力が技として身についたのである。
(同上)

今日で言えば、英語の受験勉強を何年もみっちりやったのである。外国語の文法と格闘し、ひたすら多くの単語を暗記する。それは春秋左氏伝を繰り返し読むのと同様に、「思考の持久力を鍛え学問をする喜びを深めたであろう。

諭吉は、こうして得た外国語力と論理的思考力で西洋文明を咀嚼し、漢文の力で得た自在な表現力をもって、「門閥制度は親の敵(かたき)でござる」「独立の気力なき者は、国を思うこと深切ならず」などの名文句を生み出し、明治日本の国民に向かうべき近代化の道を指し示した

明治日本を導いた諭吉の創造力、問題解決能力は、何年にもわたる古典や外国語との格闘を通じて鍛えられて初めて得られたものである。それは小学生がプロ野球の選手になるまでに10年以上も体力作りと守備・打撃などの地道な練習が必要なのと同様である。

ちょっと目には面白そうなこんにゃく作りを1時間ほど議論して創造力や問題解決能力が育つと期待することは、小学生に自由にボール遊びをさせていたら、やがてプロの選手になれる、と期待するような思い違いではないか。

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