温故せぬ国に知新なし。大切な「古典教育」を見下す文科省の愚

 

なぜ下位のアメリカに学ばなければならないのか?

齋藤氏の著書『新しい学力』には、教育行政のCheckとなりうる事実分析がある。たとえば、こんな一節だ。65カ国・地域、51万人の15歳を対象として問題解決能力を評価する「学習到達度調査(PISA)」での2012年の結果では、日本は数学的リテラシー7位、読解力4位、科学的リテラシー4位だった。

…日本はどの分野も比較的上位に位置し、日本より上なのは、主に上海やシンガポールなど、日本より著しく規模の小さい地域、それも東アジアの地域である。

 

一方で、問題解決能力教育において「進んでいる」とされ、最も頻繁に参考にされるアメリカは、数学的リテラシーが36位、読解力が24位、科学的リテラシーは28位である。
(同上)

今回の学習指導要領の改訂でも、問題解決型能力の育成が重視されているが、その教育の先進国であるアメリカよりも日本ははるかに上を行っているのである。

特定のテスト結果だけではなく、史実も挙げて齋藤氏は言う。

歴史をさかのぼってみるとき、例えば明治維新を成し遂げた人々は、「学力」ということでいえば、徹底的に「素読(そどく)」を中心とした伝統的な教育を受けた人々である。問題解決型学習とは程遠いようにみえる素読を技として身につけた人々が、現実に押し寄せてきた植民地化の波から日本を救い、欧米列強に追いつくという、大きな「問題解決」を成し遂げたのである。

 

あるいは、第2次世界大戦後の焼け野原から立ち上がり、世界第2位の経済大国にまで成長を遂げ、同時に平和で民主的な社会を作り上げてきた人々の中心は、戦前の教育を受けた世代の人たちであった。個性や主体性とはかけ離れた教育を受けたようにみえる人たちが、昭和20年代、30年代に、爆発的な学習意欲を示し、これまた「問題解決」を成し遂げた。

 

つまり、日本の近代史において、最も主体的に動き問題解決を成し遂げた世代とは、現在でいうところのまさに「伝統的な教育」を受けた人たちであった。この事実をしっかり確認しておきたい。
(同上)

こういう事実を無視して、わが国よりもはるかに順位の低いアメリカの教育を参考にしようとするのは、どういう料簡だろう。文科省官僚自身の問題解決能力の再教育が先決ではないのか。

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