翌日、緊張感と不安を胸にいだいて出発場所のロッテホテルへ行きました。そこには韓国国営の観光バスが待っていて、パスポートとツアーチケットを出してバスに乗り込みました。
定刻の8時半に出発したバスは北の方角に向けて走り、車内はほぼ満席に近く、私たち日本人の他にアメリカ、台湾の人たちも一緒でした。しかし車内には女性は一人もいませんでした。驚いたことに中年のバスガイドは、日本語をはじめ英語、台湾語三ヶ国語を順次使い、板門店のことや北朝鮮の内情を説明してくれたのです。
小一時間ほど走ると車窓からはソウルの町並みとはちがって農村らしい風景に変わり、しばらくすると大きな川沿いを走っていて、よく見るとこの道わきで何人かの老夫人たちが川の向こうに向けて手を合わせて祈っている姿が目に入ったのです。するとガイドが、
「あの人々は戦争で肉親が南と北とに離れ離れになり、会うことも出来ず韓国の人が行ける一番北側はこの川の手前までなのです。少しでも北の肉親に近いこの場所から無事を祈っているのです。皆さん、戦争ってとてもむごいものですね」
その説明に胸があつくなりました。かって肉親と一緒だった幸せに暮らしていた遠い昔。むごい朝鮮戦争によって引き離されてしまった家族の人々…。やがてバスは、この川の橋の手前で停車したのです。するとバスの入り口から小銃を肩にかけた迷彩服を着たMPが乗り込み英語で話したのです。そのあとガイドが通訳してくれ、
「今から渡します書類は英語で書かれていますので、各国語で説明します。これから行きます板門店及び非武装地帯で、北朝鮮兵士から危害を受け死亡する場合がありますが、国連軍及び韓国政府は訪問者の安全と責任は負えません。この書類は宣言書で納得したらサインしてください。提出場所は次に行く国連軍の駐屯基地です」
そして厳重注意としてガイドから再び、
「板門店の南北境界線では絶対に北側に越えないで下さい。そしてまた、北朝鮮兵士から話しかけられても絶対に会話しないで下さい。もしこれらの行為をしますと即処刑される場合がありますので、くれぐれも注意して行動してください」
この二つの説明を聞き、急に恐ろしい感じになりました。MPの小銃に板門店の危険な様子も想像して緊張したのですが、せっかくここまで来たのだからと覚悟を決めてサインをすることにしたのです。