国が違えば「嫁姑バトル」も壮絶? 日本人嫁と“毒舌アラビア義母”

 

その後家に着くまでの20分間、義母は後ろのシートから大声で怒っていました。私はまったく理解できないまま、「“誰か”というのは私のことかしら。何か悪いことを想像して、私に怒っているのかしら。だって車の中には私と義母しかいないのだから」と考えていました。どうやら義母は、私の前で口座番号を言わなければいけない状況になったので、私を疑って、決心を変えたようなのです。

一事が万事この調子で、まともに付き合ったら、こちらの精神が参ってしまうことがたくさんありました。他人と共存することに慣れていない義母は、10ヶ月の最後には、来たときと同じように突然タクシーを呼んで別荘に戻ってしまいました。

同じように14年前も、ある日突然タクシーでウンムアルクエインの家にきて、しばらく一緒に暮らし、自分の我慢の限度が切れると、同じように突然帰っていきました。

義母は別荘の隣に11人も子どもがいるメイドの一家を住まわせ、その家の経済的な面倒を看ています。たった一言の指示で全員が義母のために動く生活に慣れ、毎日1メートルの大皿に盛られた食事を、一番最初に食べる生活をしていました。義母が好きなだけ食べた後に、メイドの一家が残りを食べるのです。

しかし我が家ではそんな風には行きません。私はだいたいの人数分を計算して料理し、仕事でいつ食べるかわからない夫の分を取り分けたあと、義母より先に食べます。アラブ人は夕食を9時近くに摂るので、子どもたちは先に寝てしまうのです。義母は最後に残った食事を、アラビア語のわからないメイドを目の前に座らせて、ひとりで食べていました。義母にはそれがまったく気に入らなかったのでした。

このたび退院したとき、義母はろくに治療もしないまま別荘に帰ると言い張り、私たちの家で世話になることを拒み、他の家を探すと騒いで、我が家の駐車場から玄関に入るだけで1時間40分もかかりました。ラマダーンのすきっ腹を抱え、この灼熱の中、夫はずっと立ったまま説得し、大変な思いをしました。加えて、複雑骨折だと理解させ、なだめて手術を納得させるのに12日間もかかりました。

毎日の生活の中でも不満だらけです。家で一番いい部屋をあてがってくれない、古いベッドに寝かせている、新しいシーツを買って来い、このトイレは使いにくい、部屋が埃臭い。義母の部屋を掃除している私の前でも「こんなひどい部屋に閉じ込めて」と文句をいいます。娘たちがシャワーを浴びさせても、その毒舌を遺憾なく発揮して、メイドに好きなことを言ってきたと同じように、娘たちに文句をいいます。年頃の娘たちはおカンムリです。「なんであんなひどいことを言うのかしら」「あんなことまで言われて、面倒を看る気がしない」。

しかし、以前にもかいたように、イスラームでは世界で一番大切にしなければならないのは母親で、2番目も3番目も母親で、4番目に父親が出てくるのだから、どんな母親だって大切にしなければなりません。私たちは、義母が突然我が家に来たその日から、毎日、理解できない行動形式を「まさかこんな風に考えているのでは?」と遥かに飛躍した想像で補って、自分たちの耳を気持ちのいい話だけ聞こえる耳に変えて、義母の世話を始めました。

image by: Shutterstock

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国際結婚して24年、アラビア湾岸にあるUAEから5人の子育て、地域活動、文化センター設立などを通して、アラブ世界を深く鋭く観察し、エッセイで紹介。
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