「もったいない」を「ありがとう」に変える、食糧支援の感動物語

 

協力企業も続々~画期的な食料支援

そんな生活を始めて1年が経った頃、チャールズの意識を大きく変える出来事が。朝、誰かが突然、おにぎりを投げ込んできた。外に出てみると、おにぎりはその一帯のテント全てに投げ入れられていた。チャールズは「勝手にドアを開けておにぎりを投げられた。私は動物じゃないですよ。本人は出勤前にわざわざコンビニに行っておにぎりを買って、いい気持ちになっていたと思います。ただし、受ける側は全然違う」と、憤りを覚えた。

この体験から、チャールズは一つの答えにたどり着く。

「自分が相手に対してどんな偏見を持っているのか、それを明確にしない限り、深く相手に接触はできない。あげる側と受ける側にはラインがあるそのラインをなくして一緒にやればどうでしょう、と」(チャールズ)

相手の気持ちを理解し、対等な立場に立った上での支援でなければ受け入れられないと気付かされた。そこで思い当たったのがアメリカで広まっていたフードバンクだった。食料を分け与えるのではなく必要な人が持っていくシステムだ。かくしてチャールズは2002年、日本初のフードバンクを設立した。

しかし当初、賛同し食料を提供してくれたのは、コストコハインツの外資系企業2社だけだった。それでも地道な企業回りを続けること3年。ついに日本の企業からも食品提供の申し出があった。第1号は冷凍食品の大手のニチレイ。出してくれたのは運ぶ途中でダンボールが破損した商品だった。もちろん中はなんともない。しかしそれまでは販売店に卸せず、破棄してきたと言う。

捨てるよりは有意義に使っていただきたいし、セカンドハーベストさんはきちんと管理をして使っていただけるので、信用があるんです」(ニチレイフーズ・徳山寧さん)

ニチレイはこうした食品を提供するだけでなく配送まで協力している。この日は千葉県木更津市内の児童養護施設「野の花の家」に。他にも福祉施設など13の施設に冷凍食品を届けている。この日は使いでのある冷凍食品10種類を提供。夕食ではさっそく鶏の竜田揚げが振る舞われた。

「唐揚げとか竜田揚げとか、ニチレイさんからいただくものは子供たちにも人気で、現場の職員たちも手間が省けるので助かっております」(施設長の中尾充孝さん)

ニチレイとの提携がきっかけとなり、その後、提供する日本企業は増加の一途。今では1400社が協力している。

04

まだ足りない人がいる~広がる食料支援の輪

東京・浅草橋から始まった日本のフードバンクは今や全国に広がっている。チャールズの活動をきっかけに新たなフードバンク団体が全国で誕生。その数は今や77を数える。

この日、チャールズは沖縄の「フードバンク2h沖縄」へ。代表の奥平智子さんは2007年に活動を開始し、チャールズにアドバイスを受けてきた。活動開始から10年が経つが、その現状は「世の中の景気はよくなっているといいますが、沖縄の貧困状況は変わりません」と言う。

実は沖縄の貧困率は全国でワースト1位。奥平さんの元にくる食料支援の依頼は年々増え続けているが、配る食料が足りないのだと言う。食料を保管する場所には何も置かれていない棚が目立つ。

この事態にチャールズが立ち上がる。相談から1週間後。奥平さんの事務所の前にトラックが到着、みるみるダンボールの山ができていく。運ばれてきたのはサントリーのいろいろな種類の飲料だ。セカンドハーベスト・ジャパンはサントリーと提携している。そこでチャールズが、沖縄にも飲料を提供して欲しいと掛け合ったのだ。

「沖縄は12月くらいまで暑いので、子供たちがいるところは喜んでいます」(奥平さん)

スタジオでチャールズは、いまの活動に足りないのは資金と支給の拠点のふたつ」だと語っている。

今後、拠点を増やしていく上で欠かせないのがボランティアの存在だが、協力してくれる企業は年々増えているという。

セカンドハーベストの本部で食品の箱詰めをしている女性はモンデリーズ・ジャパンの加藤麻里子さん。同社では「年に1回、有給休暇とは別に好きなボランティアを見つけて、業務内容とは違うことをやろうという活動をやっています」と言う。

また、67歳の木村行男さんはガラス加工会社の社長。「時間的な余裕があるから、パチンコや競馬で遊んでいては申し訳ない。少しでも役に立てることがあればと思い、週2日は来ています」と言う。

よかったらどうぞの支援がボランティア一人一人から広がっていく

05

print
いま読まれてます

  • 「もったいない」を「ありがとう」に変える、食糧支援の感動物語
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け