ただ、最近の自由という言葉の風潮は某動画投稿コンテンツに出演する人たちの行いのように、自分が考える自由だったり自分の周りが受け入れてくれるから良いといった解釈が多いように感じる。
情報における格差がなくなり、子どもでも大人でも同一の情報に時間差なくアクセスできるようになっている。そうなるとこれまでとは違った教育が必要になるのではないだろうか。
私たちは教育というと知識を増やし、苦難に耐えるためのメンタルを養うためのものだと思っている。もちろんそういった側面はある。しかし、そういった教育というものは人口が増えていくという前提で経済成長を促すために作られたものであるとも言える。
資本主義という土俵で個人ではなく日本というチームで戦うためにはそのような戦略はあり得た。だが、時代は変化している。
先人たちの力により成熟した国に私たちは住むことができている。このような国では、知識を詰め込むだけではなく上記した「自由」といったような抽象的な概念を再定義し、子どもたちに考えさせる必要があるのではないだろうか。
こういった答えの出にくい議論を、学校や家庭などでしっかりと行ってもらいたい。それは必ず子どもにとって財産になるはずだ。
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