がんの末期に痛みや呼吸困難を訴えて、もはや助かる見込みがない人に、鎮静剤を投与して、眠ったまま最期を迎えてもらう「終末期鎮静」は、患者と家族と医療者の間の暗黙の合意によって行われている一種の安楽死であるが、法律に基づいているわけではない。いい加減と言えば、いい加減だけれども、患者と介護者の間の阿吽の呼吸で行われる、いわば中動態の決定である。
患者の自由意志によって「積極的安楽死」を可能にするのは、一見、人々の恣意性の権利を擁護する制度のように見えるけれども、遺産を早く手に入れたいために、まだ死にそうでない人を騙して「安楽死」の書類にサインさせるといった犯罪を防ぐために、安楽死の要件を厳密に明文化する必要がある。要件を満たすために様々な検査を行って、OKのサインをしても、その後で気が変わったらどうするのか、あるいは検査費用をだれが負担するのか、といった面倒な問題が避けられない。
はっきり言って、寝たきりになったり、重度の認知症になったら、生きていても仕方がないから、安楽死する権利を認めよ、というのはまだ多少とも元気な人のノーテンキな意見であって、実際に寝たきりになったり、認知症になったりしてみれば、頭の中がどう変わるかはわからないのだ。別に「積極的安楽死」を選ばなくても人はいずれ死ぬわけで、なぜそんなつまらぬことを考えるのか。もう少し楽しいことを考えた方がいいと思う。
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