ほんまでっか?池田清彦教授が「安楽死」に断固反対する理由

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日本でも大きく意見が分かれている「安楽死」の是非。今回のメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』では、最大限の自由を主張するという「リバータリアン」を自称する「ホンマでっか!?TV」でもおなじみの生物学者・池田先生が、意外にも「安楽死」に断固反対している理由を詳述しています。

リバータリアニズムの外側

先ごろ、日経新聞の記者から「安楽死法」の是非について意見を求められて、くだらない法律は作らない方がいいよ、と言っておいたが、私の思いが伝わったかしら(いつ、どんなコンセプトで記事になるのか知らない)。今回は、安楽死を含め、どんな状況であれば本人の自己決定を尊重できるかについて私の意見を述べたい。

私は恐らく日本で最も過激なリバータリアンで、私の考えは「正しく生きるとはどういうことか」(新潮社1998、新潮文庫2001)に詳しく書いた。エッセンスだけを述べれば「人々が自分の欲望を解放する自由(これを恣意性の権利と呼ぼう)は、他人の恣意性の権利を不可避に侵害しない限り、保護されねばならない。但し、恣意性の権利は能動的なものに限られる」。ここで重要なのは、恣意性の権利は能動的なものに限られるという点である。ヒトは、他人を愛する権利、他人を無視する権利、アホなことをする権利などを有するが、他人に愛される権利や、ちやほやされる権利などはないのだ。

言い換えれば、自分の体力、財力、知力の及ぶ範囲では、他人の恣意性の権利を侵害しない限り自己決定権は最優先されるべきだということである。この文脈の下では、愚行権も当然許されるし、自己の所有物の処分権も許されることになる。リバータリアンが、禁煙法とか禁酒法とか大麻取締法とかに反対するのは、まさにこれ故なのである。民主主義の最大の問題は多数決でマイノリティの恣意性の権利を不可避に侵害する法律を作ることだ。

能動的なことに関して自己決定ができる人に対しては、リバータリアニズムは最もすぐれた思想だと思うが、問題は自己決定能力がない人はどうなるのかということである。一番典型的なのは乳児である。乳児は誰かに面倒を見てもらわなければ、生きられない存在である。人は能動的な権利しかなく、受動的な権利はないという原則を、乳児に適用すると、場合によっては乳児は死んでしまう。ほとんどの母親(や場合によっては父親、祖父母)は自分の乳児の面倒を献身的に見るが、別に乳児に頼まれてやっているわけではない。リバータリアニズムとの対比で言えば、これはパターナリズム(この場合はマターナリズムかしら)で、相手がどう思おうと相手のために面倒を見ているという構図になる。多くの場合、それは自分の楽しみでもある。

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