赤ちゃんに母乳を与える母親は、まさに、この小さな命に生きていく糧を与えているという幸福感に満たされています。その幸福感を上回るものは、ないように思います。父親も、ミルクを上げて、おむつを替えて…赤ちゃんの世話をすることで幸福感が得られるのです。
思えば、子供を育てるというのは、群れで暮らして分け与えなくてもよくなった現代に残った、唯一の分け与える幸福を感じられる場面かもしれません。その子育てが終わった後、ペットの存在は、それを補ってくれるものです。
ペットを飼い始めて、生活が変わってしまった方を何人か知っています。ペットの散歩があるからと、夜の付き合いをしなくなったり、ペットが寂しがるからと出張先からトンボ帰りしたり…。でも、そういっている本人の何と幸せそうなこと。寂しいのは、付き合ってもらえなくなった周りの人間です(笑)。
だれかのお世話をしたい、だれかの役に立ちたい、というのは、自分が幸せになるための脳のプログラム。子供やペットだけでなく、自分以外の人、仲間に対しても行っても得られるはずです。もともとは「群れ」の中での「分け与え」なのですから。
コミュニティの本来の意義は、分け与えることで幸福感を味わえる仲間ということなのかもしれません。
同じペットでも、犬は喜びをこれでもかというように表すので、犬派の人はそこがいいといいます。猫は、どこか「ふん」という感じで、喜びの表現が控えめです。その媚びないところがいいと猫派の人はいます。
猫派の人が増えたのは、相手からの感謝という見返りより、「自分が与える」ということにストレートに満たされる人が増えているのかも…と勝手に思ってみました。ちなみに、私は猫派です。
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