6月11日の参院決算委員会。森友学園問題に関する調査報告の中立性、客観性に疑問を呈した蓮舫議員に、麻生財務大臣はこう述べた。
「私どもといたしましては、検察庁の第三者的な見解を受けて客観的に判断したと思っています」
検察が不起訴にしたことをなぜか「中立性」の証明として、自らの責任の重大さを減じ、自らの組織にやさしい調査結果の正当性を主張したのである。
言うまでもなく、刑事責任と政治責任は別次元である。にもかかわらず、刑事責任を問われなかったことをもって、財務省が国民を欺く致命的な罪の後始末を、お茶を濁すていどの軽い処分で済ませようとする。
夫人とともに疑惑の中心にいる安倍首相は、夫妻の関与を否定し続けてくれるばかりか自民党総裁選での協力も期待できる麻生氏の政治責任に言及できるわけもない。
だが、ここで麻生財務相が責任逃れの根拠とする検察の判断が、アンフェアなものではなかったのかを、じっくり検証してみなければならない。
大阪地検特捜部は市民団体の告発を受けた当初から、この事件の捜査に消極的だったのではないだろうか。
事実として、検察は第二次安倍政権下において政官界に切り込む何度かのチャンスを自ら棄ててきた。
経済産業相だった小渕優子氏の政治資金問題では、東京地検特捜部が政治資金収支報告書に総額3億円を超える虚偽記載・不記載を突き止めながらも秘書らの立件にとどめ、小渕氏を免罪した。
建設会社に頼まれてURから多額の補償金を引き出した甘利明元大臣の口利き疑惑は、謝礼として秘書が500万円、甘利氏本人が100万円を受け取ったもので「あっせん利得のど真ん中に近い事案」(郷原信郎弁護士)だったにもかかわらず、不起訴処分で幕を引いた。
安倍政権に都合の悪い事件について、市民からの告発を受けた検察は任意の事情聴取をするなど捜査に着手したフリはするが、実際にはまったくやる気を見せてこなかった。
収支報告書への記載時期がずれただけで贈収賄を匂わせるような虚偽記載事件をでっち上げ、のちに無罪となった小沢氏を政治権力の座から引きずり下ろした同じ検察が、安倍政権のもとでは、あまりに対照的な捜査姿勢を示してきたのだ。
その背後に、黒川弘務氏という法務官僚がいることは、これまで何度かメディアにも報じられ、筆者も当メルマガでふれた。
検察審査会を利用して小沢氏を陥れるのに最後まで執着した黒川官房長を森ゆうこ参院議員が呼び、捜査の不公正を指摘し、執拗に追及したが、黒川氏はシラを切り続けた。
非自民政権を嫌うこの官僚を安倍政権は重用し、2016年9月には法務事務次官に据えた。官房長から地方の高検検事長として赤レンガを出るというのが普通のコースだが、官邸は彼を法務省内に留め置いたのだ。