性格や感情そのままで違う身体は生きているのか、死んでいるのか

 

このように考えていくと「生」と「死」ということだけを考えていては限界があるように感じる。つまり「死」というものが包括的に全ての意味での最後を意味するのであれば、それより前の段階として主観的な「死」と客観的な「死」が存在するのではないだろうか。(「死」と書いたが包括的なものを「死」とするならこの表現も正しくない。だが適切な表現が思い浮かばないのでこのように表記する)

主観的な「死」はアルツハイマーや記憶喪失などで主観的に自分を自分だと判断出来なくなった場合が考えられる。客観的な「死」は自分を認識できているが自分以外からは自分であると思われていない場合。重大な事故で外見がほとんど変わってしまったり、SFにはなるが人格だけ別の生物などに乗り移ってしまう場合が思い浮かぶ。

どちらも身体的には生きているので「死」と言い切ることはできないが完全に生きているというわけでもないようにも感じる。当然、アルツハイマーの方や外見が大きく変わってしまった方を死んでいると言いたいわけではない。「死」というワードはかなり広義の意味が含まれる可能性があると思うだけだ。

つまり、「生」という範囲を小さくして「死」という概念を広く考えるのか、「生」と「死」という状態のプロセスの途中に別の考え方が存在しているのか。もしくは「死」という概念が私たちが思っているよりも手前にあり、それよりも先の「死」を超えた、例えば「無」といったような概念を作り出した方が良いのか。

読み進める本に書いてあるかは分からないが、気づきがあればこのメルマガに書いていこうと思う。

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■医師を目指して二浪したが実力不足のために薬学部へ。しかし、薬学には全く魅力を感じられなかった。哲学や心理学などの本を読み漁り、サークル活動やフリーペーパー作成など大学生活を薬学以外に費やした。 ■薬剤師資格を持たないまま卒業し、臨床心理士を養成する大学院へ進学。しかし、臨床心理学の現状に落胆。 ■薬学の勉強をし直して薬剤師資格を取得。薬局に勤務し今に至る。 人間とは何を考え、どのように行動するべきなのかを大学生活の4年間で考え抜いた。友情や恋愛、道徳や倫理などジャンルにとらわれないものを提供する。

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【著者】 小原一将 【発行周期】 毎月1,11,21,日

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