そんなとき、私のほうも言い返します。
「なんで韓国の年寄りは中国のことを『大国』と言うんだ」「ソウルのことを中国も台湾も『漢城』と表記しているのに抗議しないとは不思議だな。あれは李氏朝鮮の首都の名前ではあっても、中国の植民地支配の名残だよ」
最近では中国を大国と呼ぶ世代は少なくなりましたし、漢城の表記も2005年ごろから「首爾(首尔)」に改められましたが、日本の植民地支配に反発する一方で中国の支配の残滓を引きずってきたのです。
といっても、私は仏教をはじめとする様々な文化が朝鮮半島経由で渡来し、現代の日本の基礎を形成したことは、全面的に認めています。「仏像にしても、朝鮮半島で洗練された姿形になったことは百済観音を見ればわかる」といった話をすると、彼は眼を細めて嬉しそうに笑います。
そんな会話ですから、日本に対する劣等感を抱いていることも、正直に話してくれるのです。
「1対1だと、勉強でもスポーツでも喧嘩でも、日本人に負ける気がしない。しかし、2人ずつになるともう、日本のほうが優位になる。その差が国対国になるとどれくらい開くか、韓国人はまったくわかっていない。だから海軍にしても、背伸びをして大型の強襲揚陸艦を建造し、『独島』などと対抗意識丸出しの名前を付けたりする。仮に国土の面積や人口が同じだとしても、集団で組織的に行動できる日本が韓国を引き離すのは当たり前なのにね」
彼は、韓国人は利己主義的で集団行動どころか個人主義でもないと言います。だから、自己主張が強く、韓国人が2人いると政党は3つできると言い、それが政権になると時の大統領の一派が国民の利益に関係なく全てを壟断することになるし、政権が変わると前の政権の残滓を一掃するために、場合によっては前大統領を逮捕するようなことになるのだと解説するのです。
同じ気質は北朝鮮にも当てはまりますが、一般国民は抑圧に慣れきってしまい、韓国人と同じように自由を手に入れないかぎり、利己主義的に動く気質を取り戻すことはないが、北朝鮮の指導部については韓国と同じメンタリティだから油断はならないとも言うのです。彼は本当に韓国人なのかね(笑)。
話し出すときりがないのですが、現在の冷え込んだ日韓関係は、文在寅政権が倒れるまでは続くと見なければならないのでしょう。日本としては、それまでの数年間に親日派を増やし、次の政権で関係修復が可能なように準備することが肝要だと思います。辛抱だぁ!(小川和久)
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