まず、一つ目は、「働く女は、結局中身、オスである」というフレーズを、ワーキングウーマンを読者とする女性誌が使ったことが残念すぎる。「これじゃあ、スカートを履いたオッサンだよ」と。
女性活躍が叫ばれて久しいですが、女性管理職は一向に増えず、その一方で「管理職になりたがらない」女性社員が増え、いろいろな企業が「女性活躍の壁」にぶつかっています。
その原因の一つが「0」より「1」の功罪です。
男性だけの集団に1人でも女性が入ると、男性たち自分たちが“男”という同質な集団だったことを意識するようになります。すると、その一枚岩を壊したくない、壊されたくないという意識が無意識に働き、異物である女性に厳しくあたるようになります。
紅一点の女性は、排除されるか、同化するか。はたまた、屈辱的な扱いをされることに耐えるか。究極の選択を迫られる事態が生じてしまうのです。
つまり、「女性の部長が1人います」とか、「女性役員が1人います」という組織の「紅一点女性」は、男社会に同化した人たち。いわゆるバリキャリであり、スーパーエリートの「スカートを履いたオッサン」です。
そんな女性上司の存在は、低層階の女性の脅威でしかない。
「私にはムリ。あんな風にはなれない」と若い女性たちはひるみ、「バリキャリにならないとダメなの?」と未婚女性たちは悩みます。
私はそういう女性たちの声や悩みを聞くたびに「いいんだよ、そのままで」「自分らしく、きちんと一つ一つ目の前の仕事をやればいい」と、声をかけてきました。なので、本当に残念で仕方がないのです。