中国の遠吠え。「元号は中国の影響」が大嘘であるこれだけの証拠

 

たしかに漢字は中国から入りましたが、日本では音読み・訓読みに分け、さらに仮名を創出して独自の使用法を展開してきました。9~11世紀ごろは、アジア諸国で独自の文字を創作することがブームになり、日本では仮名がつくられて、国風文化が花開きました。要するに、中国離れの末に独自文化が隆盛したわけです。894年に遣唐使が廃止になったのも無関係ではありません

新元号の「令和」は、8世紀前半に大宰府の大友旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文から取られたものです。大宰府といえば、京の都から左遷された菅原道真(845~903年)が祀られている太宰府天満宮が同地のシンボルとなっています。

道真は京の邸宅の梅の花を非常に大切にしていて、太宰府赴任にあたり「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ(忘れるな)」という歌を呼んでいます。そして、道真によって可愛がられていた梅の木は、大宰府に赴任した道真を慕って、京の邸宅から梅が飛んで来たという「飛梅」が有名です。

そして、894年に遣唐使を廃止したのはまさに菅原道真であり中国からの影響を排除したわけです。そのような由来からすると、漢籍ではなく、万葉集から「令和」という新元号が生まれたのも、ある意味で歴史的転換なのかもしれません。

とはいえ、漢字については、多くの人が勘違いしています。確かに中国からもたらされたものですが、その表現の創造性には限界があり、約10世紀の唐末には、造語力のみならず拡散力も衰えました

その結果、日本の仮名文字創出のように、アジア諸国で独自の文字創出が進み、東南アジアを中心に、インドサンスクリット系の表音文字だけでも60前後が創出されています。

漢の天下崩壊によって、中華文化史は歴史の没落を迎えました。10世紀以後の文字史からすると、仮名文字が主役となったわけです。

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