さようなら「バブル」の平成。新時代「令和」に我々が試される事

 

天皇陛下が退位し、もうすぐで平成という時代が幕を閉じます。改めて振り返ってみると、平成とは何だったのか、そして新時代「令和」を迎えるにあたって、私たちはどのような心構えを持てば良いのでしょうか。メルマガ『8人ばなし』の著者・山崎勝義さんは、平成という時代をバブルというキーワードで振り返りながら、令和時代には現状を直視すべきだと提言しています。

平成のこと

この文章は平成最後の日に書いている。

連続する記憶の中で、一つの元号の初めと終わりをはっきり認識することができる初めての経験という人も多いのではないか。自分自身もそうである。

昭和に関しても同じような経験をしたという人もいるであろうが、連続する記憶の中でという条件を満たすためには少なくとも1920年には生まれていないと難しい。とすれば、今現在の年齢で言うと100歳以上の人ということになる。これはレアケースと言っても良いかと思う。

自分を含め多くの人が、自分の人生の中にすっぽり収まってしまう元号年間を始めて経験した訳である。当然、時代の当事者としてさまざまに思うところがあるであろう。

今回はそういったあれやこれやを巨視的観点からざっくり振り返ってみたいと思う。

平成はバブル経済の崩壊とともに始まった。

今でこそ「バブル」などといった如何にも実体の無さそうな名称で呼ぶが、まさしく好景気のさなかにこれが泡沫と思う者など誰もいなかった。それが瞬く間に大不景気となり、社会に不安が一気に広がった。その不安のあまり、このままではどうにも先に進めなくなりそうになったので、逆に今までの方こそおかしかった、即ち「バブル」と言ったのである。

この言葉が登場するやあっと言う間に一般化したのには心理的事情が少なからずあったように思う。

この「バブル」というつかみどころのない経済概念には「誰のせいでもない」といった免罪符的な意味合いが確かにあった。何か経済上の凶事が起こっても、取り敢えずは「バブル」のせいにしておけば言い逃れができたのである。日本人はこの便利な免罪符に飛びついた。自ら積極的に誤魔化し誤魔化されたのである。

思うに平成は「誤魔化し」の時代であった。

行き詰まった制度や組織が出て来れば、実態を変えず名称を変えて誤魔化した。

数年先のことでさえ不安な人には、100年安心と言って誤魔化した。

実感がないなら、空前の長期好景気も誤魔化しと言う他なかろう。

直近で言えば、東京大改造オリンピックを震災復興であると誤魔化している。東京であれほどの大工事をして地方に適正に資材や人材が回ろう筈がない。

当然のことだが「誤魔化し」には限度がある。正確には限界があると言うべきかもしれない。今後表面化するであろう問題を誤魔化すには、もう嘘でもつくしかない状況にまで来ている。先ごろ発覚した厚労省の統計不正はその始まりとも言える。

来たる「令和」の時代には、我々の意志の力が試されるであろう。

麻薬的な魅力を持ちつつ差し出される「誤魔化し」をはねつけられるか。

耳を塞いで目を閉じることをやめ、壊れ行くあらゆるものごとを直視できるか。

現状が損なわれるかもしれないという不安に立ち向かえるか。

どれも勇気の要ることだが、たぶん、皆もう気が付いているのではないだろうか。

これ以上は誤魔化し続けることも誤魔化され続けることもできないのだ、と。

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ここにあるエッセイが『8人ばなし』である以上、時にその内容は、右にも寄れば、左にも寄る、またその表現は、上に昇ることもあれば、下に折れることもある。そんな覚束ない足下での危うい歩みの中に、何かしらの面白味を見つけて頂けたらと思う。

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