そこから先は、様々な意見や立場性の取りようがあるのでしょうが、1つお話ししておきたいのは、アメリカの場合は、比較的多くの家族が「世間よりも家族」を大事にする傾向があるということです。
例えば、子供が殺人を犯したとします。日本の場合は、親子の縁を切り、それでも止まらない世間の非難を避けて、親は行方知れずになるというケースが多いといいます。それ故に、死刑囚の遺体の引き取りがされないという話もよく聞きます。
アメリカの場合は、大雑把な傾向として相当に違います。殺人を犯した子供について、親は堂々と擁護することが期待されます。勿論、アメリカでも被害者に正義を託す世論は強大で、それこそ強力な「世間」が親子を攻撃するのは変わりません。
ですが、それでも多くの親が子供に対して「社会全体が敵視しても、自分だけは理解者として子供を守る」とか、「なんとか死刑を逃れるように、恩赦を獲得するためにギリギリまで奔走する」というのが普通とされます。場合によっては、執行に立ち会うこともありますし、死刑囚であってもキチンと葬儀を行って葬送するし、自分の家族の墓に入れることもあります。
別にアメリカが立派だというのではありません。また、キリスト教のカルチャーがあえてそうさせている(多少はそうですが絶対的な理由ではないと思います)のでもないと思います。
そうではなくて、最後には子供を殺めても構わないという、そこまで強大な日本の「世間」というのは何であるのか、改めて考えさせられた、そんな思いがするのです。
image by: MAG2 NEWS(東京・練馬区の事件現場付近)
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