もうひとつ。
私は平成という時代は日本にとって、「平和な衰退」の時代であったと思いますが、思いがけず早く、新しい時代「令和」がやってきました。かつて小渕官房長官が「平成」と書いた色紙を掲げ、今度は菅官房長官が「令和」を掲げると、日本中が祝福ムードで盛り上がりました。
この日本古来の伝統である「元号」が引き継がれていくことを、我々は「自然なこと」と受け止めています。ところが、これもまた当たり前ではなかったのです。
実は、元号に関する取り決めは皇室典範に含まれていたのですが、敗戦後、GHQによってその部分が削除されてしまいました。元号を規定する法律が無くなってしまったので、「昭和」は習慣的に使われていただけで、昭和天皇が崩御された後は、西暦だけになってしまう運命だったのです。
この時も、まだ市議会議員から県議会議員になったばかりの衛藤晟一議員が旗を振り、昭和52年に元号法制化を求める地方議会決議運動が始まりました。地方から中央へという流れを作り出して、46都道府県、1,632市町村で議会決議を達成。
それを背景に、昭和54年6月、ついに元号法が成立したのです。
もしこの運動が起こらず、元号法が無かったら、平成も令和も無かったわけです。私たちが当たり前と思っていることが、全然当たり前ではなかった、という例ですね。
「歴史は夜作られる」というフレーズがありますが、このように、日本という国にとって決定的に重要なことが、実はほとんどの国民が知らないところで決まっていたりするわけなのです。
選挙では、どうしてもマスコミなどで露出度の高い有名議員が有利になりますが、私たちが本当に選ぶべきなのは、たとえ地味で目立たなくても、愚直に国益の為に命がけで頑張ってくれる人物だと思います。そういう議員が増えることが、日本を存続発展させるために絶対に必要なことですから。
山岡鉄秀 Twitter:https://twitter.com/jcn92977110
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