日本の「リベラル」を自称する人々が、本来のリベラリストと乖離していると言われて久しいですが、その根本的な原因はどこにあるのでしょうか。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』では編集長の柴田忠男さんが、そんな日本のリベラルの「正体」を白日の下に晒す一冊をレビューしています。
偏屈BOOK案内:岩田温『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』
『偽善者の見破り方 リベラル・メディアの「おかしな議論」を斬る』
岩田温 著/イースト・プレス
この本は「リベラル」を騙る偽善者の正体を白日の下にさらけ出す。理論的に暴露する。口先で「多様性」とか「少数者の擁護」とか叫びながら、意見の合わない他者を徹底的に弾圧するのが「リベラル」とやらの特徴である。彼らの正体は、自らとは異なる意見を否定する極めて全体主義的人間だと断ずる。
「日本や日本国民を攻撃できると思った瞬間にマイノリティーを擁護するポーズを取ってみせたり、多様性を守る芝居をしてみせたりしているだけの話に過ぎない。彼らは煎じ詰めれば日本を呪詛する人々であり、『リベラル』の仮面を被った偽善者にすぎないのである」という定義はじつに分かりやすい。
さらに「その本質は信念なき機会便乗主義者(オポチュニスト)に過ぎない。風の流れるままに漂うボウウラのような存在なのだ」とまで言うのだからたまりません。著者が「リベラル」と括弧つきで表現しているのは、日本の「リベラル」を自称する者は、本来のリベラリズムとは無関係の「偽善者」だからだ。
ネットで情報を収集する脱テレビ世代が「ネット右翼」ならば、テレビで「リベラル」なコメンテーターの煽動を鵜呑みにする人たちは、それを常識だと思いこむ「テレビ左翼」略して「テレサヨ」だ。「テレビを見ると馬鹿になる」とは真実だった。いわゆる団塊の世代で、すぐデモに立ち上がるヒマで元気な年寄りたちは、ほとんど「テレサヨ」だ。生き甲斐を感じているんだろうな。
家族、郷土、そして日本が好きだ。我が国の歴史を誇りに思う。諸外国の不当な非難には反論すべきだ。日の丸、君が代は国旗、国歌として尊重すべきだ。憲法を改正すべきだ……こうした価値観の持ち主を「右派」とするのではなく、「ネット右翼」と呼ぶのはなぜか。ネットの存在さえなければ、こうした価値観は生まれなかった、と考える「リベラル」の焦りがネット敵視に繋がるのか。
「徴兵制がやってくる」「立憲主義が破壊される」「戦争が始まる」と絶叫する、安保法案に反対した本物の左翼とテレサヨたちがいた。それにしても、あまりに極端な的外れ、事実に反する言葉であった。法案が成立したが、あのヘイトスピーチというべき、醜悪で滑稽な「空理空論」の絶叫の内容は、当然ながらなにひとつ到来していない。それなのに恥じ入ることさえしない。
戦後日本の平和と繁栄を守ってきたのは、自衛隊と日米同盟の存在があったからである。その現実を直視せず、戦後日本の平和を「憲法第九条」のおかげであると信じ込もうとする、思考停止した人々がいまだに存在する。自衛隊の存在を憲法に明記せよという自民党に対し、野党は絶対に認められないと対決姿勢を強めるが、なぜ反対するのか。その論拠を明かにすべきだが、できまい。
「憲法第九条を守ることはリベラリズムとは何の関係もない。第九条を守っていれば平和が訪れるというのは、政治思想というよりも一種の信仰に近い。なぜなら、それは信者以外には理解不能な非論理的な教え、すなわち教義にほかならないからだ」。偽善者の正体を暴くこの本、軽率を絵に描いたような、誑かされやすいわたしには、ものすごく参考になった。
編集長 柴田忠男
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