第二次世界大戦後、連合国による分割統治計画も浮上するなど、厳しい制裁にさらされる危機にあった日本。そんな我が国の「救世主」がアジアの地にいたことをご存知でしょうか。今回の無料メルマガ『致知出版社の「人間力メルマガ」』では、“博多の歴女”として活躍する白駒妃登美さんが、サンフランシスコ講和会議で日本の窮地を救った、スリランカ代表ジャヤワルダナ氏の演説を紹介しています。
日本人としての誇りが湧いてくる感動実話
かつて吉田茂首相は「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならい」と口にしたといいますが、その日本とスリランカの関係をいまどれだけの人が知っているでしょうか。
戦後の混乱期、日本を救ったスリランカのジャヤワルダナ氏の言動に、いま改めて耳を傾けてみましょう。お話を聴かせていただいたのは、“博多の歴女”として活躍する、ことほぎ代表の白駒妃登美さんです。
いまから71年前に終戦を迎えた日本は、昭和26年に締結されたサンフランシスコ講和条約によって主権を取り戻しました。しかし、約6年にわたるGHQ(連合国総司令部)の占領下に置かれた日本は、様々な統制のもとで贖罪意識を植えつけられ、その後遺症はいまも引き摺っていると言えるでしょう。
昭和30年にインドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカ会議においても、その影響は顕著でした。なぜなら、そのような国際会議に出ようものなら袋叩きに遭うだろうと恐れた日本側は、代表を派遣することを躊躇し、会議当日もぎりぎりまで会場に足を踏み入れようとしなかったのです。
ところが、どうでしょう。意を決して日本代表が会場に入ると、会場を埋めた各国代表がスタンディングオベーションで迎えてくれるではありませんか。
確かに日本が戦争を行ったことで、傷ついた人々がいたことは事実です。その半面、日本が米英を相手に立ち上がったから、独立を果たせたと考え、日本に感謝してくれている人たちも多くいたことを、この歴史の一場面は物語っています。
ではサンフランシスコ講和会議はどうだったのかというと、連合国側の思惑が錯綜し、例えばソ連が日本の分割統治を要求するなど、日本に対していかなる制裁措置を取るかで議論は紛糾しました。そのような中、会議の流れを一変させる演説が行われたのです。
「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ慈悲によって消え去るものである」
スリランカ代表のジャヤワルダナ氏は、仏陀の言葉を引用して国家間の礼節と寛容を説いた上で、次のように言葉を続けました。
「アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに関心をもっているのは何故でありましょうか。それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、そしてまた、アジアの諸国民の中で日本だけが強力で自由であり、日本を保護者にして盟友として見上げていた時に、アジアの諸国民が日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります」。
長年西洋諸国に虐げられてきたアジアの民にとって、大国ロシアを破り独立を守った日本は希望の星だったのです。
そしてジャヤワルダナ氏は、スリランカが一切の対日賠償請求権を放棄することを明言。演説が終わると、賞賛の声の嵐で会場の窓のガラスが割れるほどだったそうです。
これによって日本は特別な制裁を受けることなく、今日の平和を享受することができたのです。
※本記事は『致知』2016年9月号より一部を抜粋・編集したものです。