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寵愛と、心変わりと。清盛に運命を翻弄された美女を京都に訪ねる

平家の棟梁である平清盛に寵愛を受けた、二人の「白拍子」と呼ばれる男装の舞妓。そんな美しい彼女たちの悲しき運命を感じさせるお寺が、今も京都に残ります。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者で京都通の英学(はなぶさ がく)さんが、悲恋の寺として京都にひっそりと佇む「祇王寺」のゆかりについて紹介しています。

祇王寺 白拍子と平清盛の物語

京都の歴史には時を経て語り継がれる女性たちがいます。今回は日本史上初めて武家政権を築いた平清盛の目に留まり波乱万丈の人生を生きた白拍子(しらびょうし)の話です。芸に秀で絶世の美女だったがゆえに悲運の人生となってしまった祇王・祇女と仏御前が過ごした祇王寺をご案内します。

京都奥嵯峨にある祇王寺は悲恋の寺として知られています。祇王とは平家物語にゆかりの白拍子の1人です。白拍子は平安朝末から始まった男装の舞妓です。祇王の他に祇女、仏御前、静御前等が有名でした。祇王寺は祇王が母と妹・祇女と共に庵を結んだことからそう呼ばれるようになりました。

祇王寺の境内は楓に囲まれたひっそりとした古刹で、平家物語にも登場します。

平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王は清盛の心変わりにより都を去り、この場合に移ってきました。母と妹・祇女とともに出家入寺した悲恋の尼寺なのです。
祇王寺は平安時代に法然の弟子・良鎮(りょうちん)が開創した往生院の境内にあったと伝えられています。広い寺域を占めていた往生院もやがて荒廃し、ささやかな尼寺・祇王寺だけが残ったようです。

平清盛と後白河法皇

平清盛は「源平合戦」の平家のリーダーです。当時の天皇から権力を奪い、武士がはじめて政権を握り武家政治を始めた武将としてその名を歴史に刻みます。清盛は後白河法皇を幽閉し院政を終了させ、「平家にあらずんば人にあらず」と、平家一門の栄華を極めました。

清盛に幽閉された後白河天皇は子供の頃から生涯を通じて今様を愛しました。今様に傾倒する様子に「天皇の器ではない」と思われた人物だったようです。今様の宴を行い才能のある者を庇護したと言われています。

祇王・祇女

さて平清盛が権力を握り、この世の春を謳歌していた時、都では白拍子の姉妹・祇王・祇女が人気を博していました。特に祇王はとても美しさが際立っていたので、清盛の目に止まりました。清盛は祇王を寵愛し、妹の祇女と母・刀自(とじ)を立派な邸宅に住まわせ、裕福な暮らしを与えました。清盛は3年くらい経ったある時、祇王よりも年が若い白拍子に心変わりします。祇王は寵愛を奪われ、邸宅を追われ、母と妹と共に21歳の若さで出家することになります。

白拍子は平安時代後期に流行した男装をして舞う歌舞の一つで当世風の今様です。今様というのはまさに今流行りの流行歌といったものです。当時流行りの歌を歌い舞うことを職業とし、物腰柔らかい舞いをみせる女性も白拍子と呼ばれるようになっていったようです。

イメージとしては平安時代の芸舞妓さん。流行りの歌を歌い踊るわけなので当時のアイドルでしょうね。ちなみに源義経の寵愛を受けた静御前も白拍子です。当時の権力者の愛人は白拍子が多かったのでしょう。

仏御前

さて、清盛が祇王よりも魅力的に感じた仏御前はどんな女性だったのでしょう?仏御前は加賀出身で歌と舞に優れた絶世の美少女だったようです。14才の時に上京して白拍子になったとされていて、清盛の寵愛を祇王から奪ったのは16歳の時。その時清盛はすでに還暦近いおじさん。当時ならかなり高齢なおじいさんといった感じだったでしょう(一般的に祇王寺を悲恋の寺などというのですが、清盛が若い白拍子を寵愛したのは分かります。しかし白拍子達が還暦近いおじいさんに恋をしたとは思えないのは私だけでしょうか?)。

仏御前は同じ白拍子でありながら、追い出す形になった祇王と自分を重ね合わせていたようです。いつか自分も祇王のように清盛の寵愛を失い都を追われるように去るのを悟っていました。仏御前が清盛の館を後にした時、祇王の家族がいる(後の)祇王寺を訪れ、自らも髪を剃り出家したのは17歳の時だったそうです。

同じ経験をして一番気持ちがわかる人の元を訪れたのでしょう。清盛の寵愛を受けた者同士が尼寺で過ごすようになります。

しかし祇王寺には祇王、祇女とその母・刀自のお墓しかありません。仏御前のお墓はありません。実は仏御前は祇王の元に身を寄せた数ヶ月後、身ごもっていることが分かったといいます。尼寺で子供を産むことは出来ないので、故郷を目指しました。悲しいことにその子供は生まれる前に亡くなってしまい、仏御前も故郷で21歳で亡くなったそうです。なんか悲しい話ですね~。

祇王が清盛の寵愛を受けていた期間は3年間、仏御前は半年ほどという短い期間です。栄華を誇った平家は清盛が熱病で亡くなった4年後壇ノ浦の源平合戦で敗れ滅亡しました。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れるものも久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もついに滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。

平家物語の有名な冒頭部分ですが、清盛も祇王も仏御前も皆風の前の塵に同じです。仏教の世界観である無常(=常ならず)がよく表れています。

いつか平家物語、清盛、祇王、仏御前、後白河院のことを思い浮かべながら祇王寺を訪れてみて下さい。

奥深い京都をまたご案内しますね。

今回の動画
【聞いて学べる京都セミナー】(7)「祇王寺」白拍子と平清盛の物語
 

image by:  京都フリー写真素材集

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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