韓国に住んでみてわかった、韓国人女性たちの愛の強さと逞しさ

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最近の日韓関係が、当面は修復不能と思える程に危機的状況に到ってしまった原因の一つに、日韓の国民性、感情表現方法の違いも影響しているかもしれません。今回の無料メルマガ『キムチパワー』では韓国在住歴31年の日本人著者が、歴史的背景等を鑑みつつ「韓国人女性の性格」について思うところを記しています。

女性

9月13日が旧暦の8月15日つまり中秋の名月にあたる日。日本ではお月見の日だけれど、こちら韓国は秋夕チュソクという民族の大名節。お正月と並ぶ二大名節の一つ。前後の2日が休みとなるので今年は12日の木曜日から赤い日となり、4連休となった。

11日の水曜日の夜から日本以上の帰省ラッシュとなっていた。ダンナの家に先に行くのか妻の家に先にいくのかで揉める風景も恒例行事となって久しい。この時期になるとどうしても女性というものについて考えさせられることが多い。それで今回は女性というテーマでお送りしたい。

女性は結婚したら男性の姓になる。アメリカ、ヨーロッパがそうであり、日本またしかりだ。ところが韓国はちがう結婚しても女性の姓は元のままだ。韓国は儒教国家だ。本家本元の中国以上に儒教文化が根強く残っている。その影響もあってか、ここ韓国では女性の地位は低いものだった。族譜(ジョッポ、家系図)にも、本来は女性の名前は載らないのだ。

最初にも書いたけど、お正月やチュソク(秋夕という字で大体日本のお盆に相当)などの名節のような大きな年中行事には女性だけが、料理作りに、掃除に、後片付けに、子どものめんどう見にと、とにかく汗だくになって働く風景がいまでもよく見られる。チャレ(茶礼と書く。法事のようなものと考えてよい)の場で、先祖に対してジョル(頭を地につけて行なう最敬礼のような行為)をするのは男だけ。料理を作り準備をするのは女性なのに、準備したものを前にジョルをする資格がないのである。よそ目にも痛々しいと思うほど、女性の地位は低いのだ(最近は女性もジョルができるように取り計らってくれる家柄もあるようだが、本来の伝統としては女性はジョルはしない)。

しかしこと「苗字」つまり「に関しては、結婚しても男の姓にならず、つまり男の従属物にならず一個の独立した人格なのである。結婚しても姓が変わらない文化は韓国のほかに今のところわたしは知らない。生まれた子どもは男親の姓を名乗ることになっているが、戸籍法が改正され、戸主制が廃止されるにともなって、子どもは(希望すれば)母親の姓をとって名乗ることもできるようになった。そうなる前の数年間は、父親がキム氏で母親がバク氏なら、子どもは「キムバク」という姓にすることが流行っていた。両方の姓をとって子どもの姓にするのである。たとえば名前が「ヒョンシク」なら「キムバク・ヒョンシク」というような姓名になるわけだ。いっときこんな現象もちらほら見えたけれど、今はほとんどそんなふうにする親はいないようだ。30年以上学生を教えている間、今までこんなふうに二親の姓を重ねてつくったような姓は一人二人くらい見たかもしれない。

ところで女性の地位が低そうに見えながら、どうしてどうして、そんなことはまったくない。世界の国と比べてもここ韓国の女性はパワーがある。それは姓の問題だけではなくいろいろの面に見られる。まず生活力のたくましさをあげることができよう。

昔から韓国は戦争に巻き込まれてきた。ものの本には、900回以上も侵略の戦争に巻き込まれたと書いてある。ここ最近では、1950年6月25日の「ユギオ」をあげることができる。北朝鮮のとつぜんの挑発にはじまる朝鮮戦争のことである。6月25日の、六(ユク)、二(イ)、五(オ)をつなげて「ユギオ」という。血で血を洗う激しい戦争であった。こうした戦争のときごとに、男は駆り出され、女はあとに残って子どもや親のめんどうを見る。ぼやぼやしていては、食うものも手にはいらない。目ざとくあたりを観察し、必要なものはすばやく自分のものとして調達しなければ、あした食うものもない時代だ。そういう素早さ、すばしこさ、目ざとさ、そして多少のずうずうしさが培われていく。もう半世紀以上も前の話だが、現代の韓国女性にもこうした気質が色濃く流れているように感じる。ひとことでいえば、生活力旺盛ということになろうか。

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