さて、ここで日本と韓国とがいかに似た状況に置かれているかを、列挙してみましょう。
1) どちらも経済的には先進国でありながら、人口減少による将来への不安を抱えている。
2) どちらも、老齢化社会への傾斜を危惧しながら、基本的に単一民族国家としての意識が強く、移民政策には慣れておらず、将来の労働力欠如、知的生産物の瑕疵への不安を抱えている。
3) どちらも、旧来の学歴社会への歪みを抱えていて、格差社会の拡大に悩んでいる。
4) どちらも、北朝鮮や中国への脅威にさらされ、同時にアメリカの傘下の中で軍事的に自立できずにいる。
5) どちらも、直接国境を通して人々の行き来のない地理的に孤立した国家である。
6) どちらも、資源に乏しく伝統的に貿易立国として成長しなければならない運命にある。
7) どちらも、漢字文化圏に属し、多くの伝統と文化を共有している。
8) どちらも、アメリカと中国という超大国の間の微妙な環境の中で、政治的にも経済的にも生き抜かなければならない運命を背負っている。
こうした事例を挙げればきりがありません。そしてこの二つの国は、狭い海峡を挟んだ隣国なのです。それでいて、日本は過去に戦争責任について交わした取り決めを盾とした原則論に固執し、韓国は民主化運動の後の韓国の事情に合った戦後処理への対応をしない日本を嫌悪します。
どちらが良いか悪いかの問題ではなく、その対立が論理的にお互いの政治的経済的な利益に合わないことは明らかです。双方が偏狭なナショナリズムにそれぞれ縛られていることの不利益の方がどれだけ大きいかをもっと考えるべきなのです。
韓国を訪ねていつも感じること。それは韓国人の対日感情は決して一色ではないという事実です。これは日本も同じかもしれません。しかし、日本語を話せる韓国人の方が、韓国語を話せる日本人よりはるかに多いことは、我々は認めなければなりません。さらに、決して流暢とはいえないまでも、英語でコミュニケーションのできる人口も韓国の方がはるかに多いように思われます。これは韓国だけではなく、台湾に行ったときも感じる日本にとっては悲しい事実です。過去に日本がこれらの国々を植民地にしていたから日本語ができて当然と思う人がいたとするならば、それは時代錯誤も甚だしい愚かな感想といえましょう。
今、日本も韓国も、共に経済大国からの凋落の危機感にさらされています。それは、一歩海外にでてみれば誰でも感じることのできる現実です。そんな将来の不安を解消し、自らの未来の生活を守るために、日本と韓国とが連携してゆくことが必要だと気づかないとすれば、それは国の将来に対する無責任な誤認であるといっても過言ではありません。
日本も韓国もアジアにある様々な格言を共有しています。特に大切なことはお互いにへりくだって相手を見つめ合うという伝統的な美徳です。声を張り上げて相手を中傷する行為は日本人の本来の伝統や美意識にも反する行為です。
もし、百歩譲ってナショナリズムを肯定した場合でも、冷静に考えれば相手をなじる行為は日本人としての美意識そのものを傷つけているのだということに、我々は気づくべきなのです。その上で、未来の日韓関係をもう少し合理的な方向から見つめ直してゆくことが今求められているのです。20年、30年先のお互いの生き残りのためにも、目先の感情に流されず、心を開き合う勇気が今求められているのです。
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