1992年、日本に世界的なシンクタンクが必要なことを訴える企画『頭脳なき国家の悲劇』を『週刊現代』に連載していたとき、中曽根さんに取材させてもらいました。
中曽根さんはシンクタンク・世界平和研究所を設立したばかりで、キャリア官僚や自衛隊のエリートを研究員に配置しており、専門的能力はともかく、出身組織と協力関係を維持していくための「渡り廊下」として必要なのだと説明してくれました。
首相官邸の機能強化についても、「連合艦隊の旗艦」の位置づけにしようと意気込んで首相官邸に乗り込んでみたところ、列国では考えられないような光景に愕然となったという話もしてくれました。なんと、盗聴防止装置つきの電話が1本もなかったのです。
このとき、中曽根さんは「総理になるために10年間、準備した」と言っていました。準備とは主にブレーンとして使える人材の選定などですが、中曽根さんが多用した各種の審議会も、自分で厳選した専門家を「隠れ蓑」に使い、自分の考えを実現させることが目的だったと、正直に話してくれました。その点は、ポスト安倍で名前が挙がっている政治家の準備状況を評価するうえで、とても参考になる話です。
エピソードを書き出すときりがないのですが、最後に中曽根さんからの自筆の葉書のことを紹介しておきたいと思います。
中曽根さんの画才はつとに有名ですが、このときの葉書は政経文化画人展に出展された「夏軽井沢ゴルフ場」の絵柄でした。2002年9月12日の消印です。
その葉書に、ブルーブラックのインクで太い万年筆の字が記されています。「『日本は国境を守れるか』ありがたく拝読。御説の如く沿岸警備隊的組織を強化し、自衛隊出動を回避することは賢明だと思いました。ご健闘祈ります」。
私が拙い本で主張した「なぜ海上自衛隊のほかに海上保安庁が必要なのか」という思想的な整理の必要性について、それをきちんと読んでコメントしてくださったことが判りました。
84歳のときの中曽根さんの筆跡と軽井沢の絵を眺めながら、ご冥福を祈っている次第です。(小川和久)
image by: 首相官邸ホームページ [CC BY 4.0], via Wikimedia Commons