天安門事件を端緒に、東欧に民主化の波が伝播してから30年余り。その間、世界はどう変わり、そしてこれからどのような道を歩んでゆくのでしょうか。数々のメディアで活躍する嶌信彦さんは今回、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で30年を振り返るとともに、現在の東欧諸国に訪れている新たな変化や傾向を記しています。
浮かれていて良いのか
2019年は、中国の天安門事件から30年という節目の年にあたる。1989年6月の天安門事件では、中国政府が学生や大衆のデモと暴動に危機感を持ち、軍を出動させ力づくで抑え込んだ。途上国に広がりつつあった民主化運動は、この天安門事件の封殺によって鎮静化すると見られたが、世界にくすぶっていた火は半年後、東欧に飛び火し、結局、冷戦終結をもたらす結果となってゆく。
私は1989年暮れ、TBSのTVカメラマンらと一緒に東欧取材に行っていた。中国では天安門事件を完全に封じ込めたが、東欧ではソ連の統治下にあったポーランド、ハンガリー、チェコスロバキアなどの民主化運動が火を噴く寸前にあった、特にポーランドではワレサ氏の率いる労働組合「連帯」が運動の先頭を切っていた。
現地に行ってみると東欧だけでなく、ソ連もまたゴルバチョフ書記長のペレストロイカ(改革)とグラスノチス(情報公開)の動きもあって揺れ動いている鼓動がびんびんと伝わってきたものだ。その間、ルーマニアではチャウシェスク大統領が抑圧運動に乗り出したものの、逆に革命軍に殺されるというひと幕もあった。
東欧の動きを現地で見ていて感じたことは、一旦、大衆の力が解き放たれると、多少の力では抑え切れず逆に軍隊の一部も大衆の側についてしまい、強そうに見えた権力をあっという間に崩してしまう現実の凄さだった。中国が軍隊まで動員して天安門事件を抑え込んだのは、半年後に起きた東欧の権力の崩壊を予見していたのだろう。中国のリアリズムを感知する能力にびっくりさせられたものだ。
だが民主化の春をもたらした東欧諸国も30年経った現在、再び右傾化の波がやってきている。ハンガリーのオルバン首相は、メディアへの規制強化や憲法裁判所の制度改変などを進めるとともに、東欧出身のアメリカの投資家ジョージ・ソロス氏が民主主義の人材を育成するために1991年に創立したブダペストの大学院「中央ヨーロッパ大学」の学生募集を禁じてしまった。オルバン氏は30年前の民主化運動の時、先頭に立ってきた一人として知られていた人物だった。
またポーランドでは右派政党の「法と正義」が政権を握り、移民の流入に反対し、裁判官の人事についても与党寄りの判事を増やすよう制度を変えようとしている。さらにドイツではメルケル政権の自由主義、民主主義的な拡大政策が移民の流入などにつながると反発が強まり、遂にメルケル首相は退任予定を発表するハメになった。
この30年はグローバリゼーションの進展で豊かになった面もあったが、半面では分断と格差を生み、なかんずく移民と失業問題で再び世界に対立の芽をもたらしたともいえる。
そんな中で日本の平成の30年は、自然災害に悩まされたものの、東欧や新興国の動乱に比べると比較的平穏に時代は推移した。ただ、自動車や電化製品、通信機器などの新製品を数多く生み出し世界を席巻した高度成長時代に比べると、かつての日本人の熱気と活力は失せてしまったように思える。まだバブル期の余韻に浸っているようで、外交もアメリカに寄り添う姿勢ばかりが目立ち、明らかに日本の意気地と国力は落ちてきた。日本に30年前のあの活力が戻ってくることは当分なさそうな気がしてならない。
(電気新聞 2019年12月20日)
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