スイスIDMの2019年世界企業競争力ランキングで、30位というおよそ先進国に相応しくない評価を受けた日本。約30年前は同ランキングで世界1位を誇った我が国の国力はなぜここまで凋落してしまったのでしょうか。そして「復活の目」はあるのでしょうか。数々のメディアで活躍する嶌信彦さんは今回、自身の無料メルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「時代を読む」』で、世界進出に成功したユニクロの顔・柳井正氏が考える「日本の将来像」を紹介しています。
“経済敗戦”からどう立ち直る?
「平成の30年は日本の“経済敗戦”の時代だった」と断ずるのは柳井正・ユニクロ会長兼社長だ。激動の昭和時代を経て平成の30年は穏やかに成長し国民の生活は豊かに安定したかにみえる。しかし内実をみると、スイスのビジネススクールIMDが発表した世界競争力ランキングではもはや経済大国とはいえないほど凋落しているのだ。
ユニクロを展開するファーストリテイリング社は、1949年に家業の小郡商事(山口県)から創業し、84年にユニクロ1号店を広島にオープンし全国展開を進めた。同社の2019年8月期の決算は2兆2,905億円の売上高に達し、今やアジア、アメリカ、ヨーロッパにまで進出して世界第3位のアパレル小売会社となった。
その柳井氏は「GDPはまだ世界で3位だが、IMDのランキングは1992年から4年連続1位だったのに2019年の日本の企業競争力は世界ランキングで30位にまで落ちた」と嘆き、このままだとGDPももっと低落するだろうと指摘する。
60年代から80年代の高度成長期は、輸出が盛んで国内の人口も増大して内需も拡大していた。このため大企業はもちろんのこと99%を占める中小企業も海外に飛び出て市場を開拓したし、企業の研究開発が熱心で設備投資を行ない、新製品をどんどん作り出していった。テレビ、自動車、機械、通信機器やそれらの部品等は、日本企業の競争力が強く、他の追随を許さないほどだった。そこには日本人の勤勉さや手先の器用さ、時間厳守の厳しさ、2,000年以上に及ぶ文化、文明の蓄積などが寄与していた。
ところが、80年代後半から90年代初めにかけて日本を覆ったバブル経済の波に呑まれ、多くの企業がバブル崩壊とともに苦渋を飲む結果となってゆく。このため、日本の活力を支えてきた多くの中小企業が倒産、閉鎖し、企業の合併再編が進んだ。2000年代に入ると金融業界にまで波及。13行あった都市銀行は三菱UFJ、三井住友、みずほ、りそなに統合され、今なお地方銀行と信用金庫の再編統合が進行中だ。
しかも、世界経済のグローバル化が急速に進んでいったが、日本企業はこの流れにも乗り遅れた。そのせいか、90年代前半までに見られた日本企業の進取の精神や日本人の勤勉努力、教育への投資、設備の更新といった分野にまで内向きとなり、企業や人々は設備投資や消費に臆病になっていった。企業の資金は溜め込まれるばかりで人々の消費意欲も慎ましやかとなり、企業の内部留保は463兆円、個人の金融資産は1830兆円にも及ぶ。しかし、日本全体に元気がなく経済敗戦とはいい得て妙な表現だ。
(財界 2020年2月12日号)
※なお、本コラムは新型コロナウイルスによる肺炎の影響により、中国におけるユニクロの休業店舗数が報じられる前に入稿しております。
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