近づく五輪。「震災復興五輪」の看板がいまも正当と思えないワケ

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東京オリンピックまで気づけばおよそ150日。「震災復興」を謳い文句に開催地が決定してから6年半が過ぎました。この「震災復興五輪」という言辞の矛盾を指摘する声は、2011年の誘致活動開始当初からあがっていました。その中の一人であるメルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、首都東京での五輪開催と震災復興が相反する理由を改めて解説。大会後、復興を犠牲にして開催したことの評価をしっかりとする必要があると訴えています。

東京と東北のこと

東京オリンピック誘致の際、当時の都知事はその理由を「儲かるから」と言っていた。儲かるから?何と下品な物言いか。仮にそれが事実であったとしても別の言い方というものがあったであろう。親近と卑近は全く違う。おそらく当の本人は己のキャラクターを以てすればこれは親近として受け容れられるレベルとでも思っていたのであろうが、少なくとも私にはただただ卑近なだけであった。内外に言を発する立場にある者に対して最低限の礼節を期待するのは有権者として決して贅沢な願いではないであろう。

その後、東日本大震災が起こって、私はオリンピック誘致には反対の立場を取るようになった。どう考えても震災復興事業の妨げとなるからだ。いくら「震災復興五輪」と言葉で位置付けてもその現実は変わらない。畢竟オリンピック誘致の根本は都市改造プランの良し悪しにある。故に首都東京の大改造と被災地の復興はどう見ても利益が相反することになる。資材に人材、同じものの取り合いだからである。

資本主義経済において同じものを取り合う状況が生ずれば、そこには当然売り手市場というものが生まれて来る。売り手にしてみれば同じ物品あるいは役務を提供するなら高く買ってくれる方を優先したい筈である。首都東京と地方の町村、取引相手としておいしいのはどちらか、考えるまでもない。しかも五輪は期限付きの国家事業・首都事業である。「このままでは間に合いません…」と言えば、いくらでも金を出してくれるかもしれない。何せ国と首都の面子が掛かっている。

それに建設建築関係業者からしてみればこれらの利益追求は当然の権利であるし、必要な経営努力でもある。五輪後に予想される深刻な建設不況を思えば、いくら備えても十分ということはあるまい。

オリンピックは「儲かる」とのことだった。果たしてそうか。需要過多による資材と現場作業員の人件費の高騰、膨れ上がるテロ対策費や犯罪対策費、今後さらに増えて行くことが予想される猛暑対策費等、問題は多い。

またボランティアのことも無視できない。そもそも「儲かる」と言っておきながら、ボランティアを頼みにせざるを得ないこと自体が自家撞着ではないか。

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