脱北者として韓国国会議員に初当選した男性はなぜ脚を切断したか

 

2006年7月、わたしは長い旅程のすえ韓国につきソウルにきた。そのとき一番うれしかったのは、義足と義手をもらったことだ。韓国政府はそれを提供してくれた。わたしはこのうれしさを父といっしょに分かち合おうと北朝鮮のほうに連絡をとった。ふるさとの知人たちと連絡がついたけれども父が死んだという衝撃的な連絡をうけた。

 

わたしの家族が中国に脱北し父が最後に脱北したのだが捕まり拷問をうけた。拷問の末命を落とし、遺体はだれもいない家にそのまま置いて行かれたとふるさとの人がいった。わたしの家族の悲劇とわたしの障害にもかかわらず、わたしはあきらめなかった。わたしは堂々と生きようという幼いときの願いを思い出した。

 

父はわたしが大学に行くことを望んだが、わたしは大学を卒業してその願いを叶えることができた。自由大韓民国に到着してわたしは、北朝鮮の障碍者と北朝鮮の人権の代弁者にならねばと誓い責任を感じた。それでわたしは小さな事務所で友第といっしょに「ナウ」を立ち上げ過去の4年間、わたしのような幼い子供たちや女性を中国を通して脱北させた。その数は100人をこえた(2015年現在の話。今はもっと増えているだろう。筆者注)。

 

北朝鮮では人民はインターネットがないためわたしたちは真実、文化、知識をラジオを通して伝えている。北朝鮮に真実を知らせることが重要なのは勿論、北朝鮮以外の消息を知らせるのも重要だ。ジャンマダン(北朝鮮の市場)とラジオを通して北が変わると考える。

 

わたしは今日、死の危機を克服してこの場に立った。これがわたしが1万キロをともにした杖だ(杖をとりにいく)。この杖は、わたしがあきらめることなく自由を求めてきた象徴でもあるけれども、なくなった父が作ってくれた最後の遺品でもある。北朝鮮の自由のためにわたしのできることはなんでもやることを誓うものだ。重要なことは皆さんが北朝鮮のためにいっしょにやってくれるとき、北朝鮮に自由が必ずやってくるものと信じる。皆さん、いっしょにやってください(スタンディングオベーション)。ありがとうございます。サンキュー。

ここまでの内容。一度ユーチューブにはいって、本人の演説を聞いてみていただけるとありがたい。涙なしには見れない映像である。この人が今回2020年、4.15選挙で当選したのである。

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韓国暮らし4分1世紀オーバー。そんな筆者のエッセイ+韓国語講座。折々のエッセイに加えて、韓国語の勉強もやってます。韓国語の勉強のほうは、面白い漢字語とか独特な韓国語などをモチーフにやさしく解説しております。発酵食品「キムチ」にあやかりキムチパワーと名づけました。熟成した文章をお届けしたいと考えております。

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【著者】 キムチパワー 【発行周期】 ほぼ 月刊

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