自宅待機中に雇い止め通告を受けたり、コロナ禍の中で障がい者の就労状況は厳しさを増しているようです。現状を伝えるのは、障がい者の雇用の支援に取り組むメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』著者の引地達也さんです。引地さんは、企業も「生き残り」をかける中では、障がい者雇用の維持は理想論だと一蹴される場面も増えそうだと予測。障がい者雇用が各企業の本業から遠い位置に置かれたままという社会構造の問題を指摘し、障がい者の「就労」の問題ではなく「しごと」の問題として捉える議論が必要になると提起しています。
コロナ禍で障がい者雇用の「しごと」を考える転換に
新型コロナウイルスによる首都圏の緊急事態宣言が解除されたことで延期されていた障がい者雇用の面接が始まり、私の周囲では早速内定をもらう方が出る一方で、就労している方の中には業務の激減により自宅待機を命じられ、そのまま契約打ち切りになるケースも出てきた。
自宅待機中の過ごし方に関する悩みを聞いていた矢先の雇止め通告に当事者は大きなダメージである。コロナ禍で騒がれる新たな日常は、障がい者にとっては、新しい希望ではなく、同じ苦しみの始まりのようにも思えてしまう。おそらく、このような事案は全国各地で起こっているのだろう。
面接の延期も解除されて、いざ面接に望んでも採用に至らず、コロナ禍の中での落選は先行き不安を助長するようで、落ち込んだ人の話を聞く戻った日常の風景はコロナ前よりも先行きが暗い。
今年4月の完全失業者数は189万人で、前年同月に比べ13万人の増加となり、3か月連続の増加である。失業率2.6%は米国の10%以上の失業率と比べ低水準ではあるが、休業者を「隠れ失業者」とみなした場合には別の風景が広がる。
ブルームバークの報道によると「第一生命経済研究所の星野卓也副主任エコノミストは、休業者がすべて失業者に振り替わった場合、4月の失業率は11.4%になると試算」、さらに「SMBC日興証券の丸山義正チーフマーケットエコノミストは、休業者を加えた不完全雇用率は11.5%、非労働力化した人も加えると12.6%に達する」という。米国の数字に近づくわれわれの雇用状況は障がい者の就労移行の現場の感覚に近い数字であり、経済活動の再開は就労を目指す障がい者の一喜一憂の始まりでもあるが、状況が悪化している中に旧来の就労移行活動にそのまま戻っていいのか、という戸惑いがある。
そんな景気の落ち込みと失業率の上昇による障がい者雇用へのしわ寄せという不安に襲われる中で、先ほどの雇い止めした企業は、障がい者が担う仕事を利益の余剰分と考えていたケースで、障がい者が担っていた部門は業績が悪くなれば削減する運命にある。障がい者が働く場を本業の中に組み入れて対応できるのが理想ではあるが、コロナ禍による「生き残り」をかけたサバイバルゲームの中では、障がい者雇用の維持は理想論だと一蹴されてしまう。
企業が努力をして障がい者雇用をねん出したケースほど、苦しい状況に追い込まれているようで、これは企業が悪い、というわけではなく社会の構造上の問題。今回、持続化給付金の手続きややり方の問題が浮かび上がっているが、社会的弱者への措置に関して議論もされないまま、今後も雇止めだけが増える悲しい現実を受け入れるしかないのか。
コロナ禍を受けて企業は障がい者雇用維持のための措置や予算を国に独自に求めていいものだが、企業側にその余裕はないだろう。やはり、障がい者雇用を本業から遠い位置に置いたままだから、まだまだ周縁の存在であることが悲しくも浮かび上がってくる。
この問題を捉え直すために、最近、財団法人発達支援研究所との議論にしていきたいのが、「就労」という言葉で括るのではなく「しごと」で考えてみる取り組みだ。企業への就労ではなく、自分が行うしごと、という文脈で構築していこうとの試み。
コロナ禍の前に予定されていた「障がいとしごと研究会」は延期になったまま開催できずにいるが、現状を受けた新しい考え方で構築する必要がありそうだ。テレワークによる就労の形はこれまでの延長線上で考えれば創造的な仕事にはならない。就労がすべてと思いこまされた結果の悲劇を回避するよりも、「しごと」が自然と楽しい存在として考えられるための情報の提供が社会には必要である。
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