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【第2回】「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談

小説やエッセイも手掛ける精神科医の春日武彦氏と、現代短歌を代表する歌人の穂村弘氏が、「死」をテーマに深く語り合っていく対談の第2回目。今回は「生」と「死」の専門家である春日氏が、医師ならではの視点で死ぬことについて論じていきます。

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春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

 

人身事故で「空気が菱形に歪んだ」

春日 穂村さんは、自分の死について日常的に考えたりする?

穂村 あまり考えないなぁ。たぶん先生の方が死についてよく考えているし、考えること自体が好きそうだよね。近年の「鬱屈精神科医」シリーズとか読んでると、お祓いとか鬱とか冥土とか、どんどんテーマが死の方に近づいていくから不安になったよ(笑)。僕は先生とシンクロする部分がたくさんあると思ってるんだけど、「死」というものに対する感覚はだいぶ違うみたいね。

春日 確かに、俺はどちらかといえば死を弄びたがるタイプだろうね(笑)。暇な時、乗ってる電車が人を轢いた時の感覚をシミュレーションしたりしてさ。

穂村 え、なにそれ?

春日 ほら、やっぱガクンと衝撃が来て、前につんのめるのかな? みたいなことを考えるわけよ。そうそう、去年の11月、初めて乗ってる電車が人身事故を起こしたんだよ。中央線の東京駅から出た電車が御茶ノ水駅に入るあたりで止まっちゃって。

穂村 すごいね。僕はその経験はないなあ。

春日 人身事故といえば、夫の浮気が原因で妻が精神を病んでいく私小説『死の棘』で有名な島尾敏雄(1917〜86年)に『亀甲の裂け目』(1952年)っていう短編があって、もう不安の塊のような話なんだけど、その冒頭で主人公の乗っていた電車が人を轢く場面があるのよ。急ブレーキで乗客がみなドドっと倒れるんだけどさ、その時の主人公の感じ方が振るってて「空気が菱形に歪んだ」って。学生時代にそれ読んで、「すげえ、こういう書き方をするのか!」とびっくりしたことをよく覚えてる。

穂村 実際そんな感じだった?

春日 いや、全然菱形に歪まなかったよ(笑)。で、「40分以上停車します」ってアナウンスが流れて、大概のやつらは降りてしまったんだけど、俺は今更乗り換えるのもめんどくさいから、そのまま席で読みかけのミステリ小説を読んだりしてたの。で、ふとまわりを見回すと、パラパラと俺以外にも残っているやつらがいて、スマホいじったり、ノートパソコン出したり、編み物始めたり、寝たり、みんな思い思いにその時間を過ごしてて。しかも、そこに秋の弱々しい光が綺麗に入ってきて、すごいまったりした空間になってるのよ。人身事故による死と、その穏やかな時間との落差がすごくて、なんか不思議な感じだったな。

穂村 ああ、乗り換えないで本を読み続けるのもちょっとわかる気がする。

「あ、俺死ぬかも」と思った経験は?

穂村 僕にとって「死」は、やはり考えることが難しいし、歯が立たないテーマだなって感覚が強いんだよね。ほら、すごく大きなテーマについて何か言おうとすると、結局そんなに人と違ったことは思いつかないってあるじゃない? 死の場合も、怖いな、痛いのイヤだな、みたいな小学生みたいな言葉しか出てこなくなっちゃう。

春日 じゃあ、死を間近に感じたこととかは? 例えば、「あ、俺死ぬかも」と思った経験とかさ。

穂村 うーん、リアルに「九死に一生」みたいな経験はないな。教室の下にいたら窓ガラスが降ってきて眼鏡を叩き落されたくらいかな。

春日 まあ、それはないに越したことはないけどさ。自分が死んだら残された奥さんはどうなるんだろう? みたいなのは考えない?

穂村 考えないなあ。だから、死んだ時にお金が下りるタイプの保険に入ろうとか、まったく思ったことない。とはいえ、最近は新型コロナウイルスのせいで以前よりは死を身近に感じるようになった気はするけど。先生はお医者さんだから、死が普通の人に比べて身近だと思うんだけど、どう?

春日 まあね。仕事柄、患者の死の場面に立ち会うことは時々あるから。

穂村 医者は、死との関係でいえばすごく特殊な職業だよね。その点では、先生は「死」の専門家とも言える。かつて産婦人科医をしてた時って、お母さんが死ぬのも、赤ちゃんが生まれるのも目にしてたわけでしょ。

春日 そうね。産婦人科医時代は、まさに生と死——命が生まれる瞬間と、消える瞬間を両方を目撃し続けるような感じだったな。厳粛さなんて全然なくてさ、大人やら赤ん坊やらが、部屋のドアを開け閉めして目まぐるしく出入りしているみたいな印象でね。

医者をやっていると、人の死って慣れるもの? 

穂村 そんな生と死が日常的に同居するような状況って、僕みたいに普通に生きている人間にはまったくイメージできないよ。医者をやっていると、人の死って慣れるもの? それとも、医者になる人は死に対して耐性が強いというか、平気な性質を持ってるの?

春日 慣れ、というのは結構あると思うけどね。それに白衣を着ると、感覚が自動的に冷静沈着モードに切り替わるものだよ。

穂村 僕の知り合いに、医者になるのが夢で、頑張って勉強して医学部入ったけど、授業で解剖をしたら「もう全然無理」ってなってドロップアウトしちゃった人がいた。医者になるという確固たる意志があったのに、やっぱりダメだったみたい。

春日 なるほどね。俺は解剖、全然平気だったな。途中で、血管がどうなってるかとかスケッチしたりするんだけど、上手いもんだったよ。ダ・ヴィンチのウィンザー手稿みたいなタッチでさ(笑)。気持ち悪くなったりもしなかったし、臭いもキツイけど慣れれば平気だったな。余談だけど、俺が卒業して何年かしたら、学生の時の解剖学の教授が解剖用の遺体として来たことがあったよ。

穂村 すごい。立場上、ぜひ自分を学徒のために使ってくれ、と。でも、知ってる人にメス入れるのって抵抗なかった?

春日 やっぱり腰は引けるよね。とはいえ、筋通ってる先生だなとは思ったな。

穂村 考えてみたら、僕は目の前で動物や人が死ぬところ見た事ないよ。祖父母の死も、母の死も、その瞬間は目にしてないもの。

春日 看取ってないわけね。俺さ、小学生の頃に亀を飼ってたんだけど、ある日水槽の水を入れ替えてたら水を入れるのを忘れて、そのままにしちゃったことがあるんだよ。翌日になって「あっ、いけね」と思って急いで水入れたんだけど、そしたら亀の首だけびょーんと長く伸びてさ。結局すでに死んでたんだけど、その時は、すんでのところで亀の魂に逃げられたって感じが露骨にしたな。

穂村 え、タイミングによっては生き返ったんじゃ? みたいな感覚だったの?

春日 なんかそんな気が勝手にしてさぁ。あと少しで捕まえられそうだったのに、目の前の角を曲がったら消えてて「畜生!」みたいな感じ。だから俺は悪くないぞ、って(笑)。
穂村 もし親しい人とかが相手だったらイヤだな、そういう感触が残るの。母が死んだ時、反射的に最後の会話を思い出そうとしたよ。でも、医者なんてそんなことの連続なんじゃないですか? 目の前で命に逃げられる、みたいな。

春日 まあね。だけど、医者の時の俺は、頭の中のモードが切り替わってるから。
穂村 そういう風に切り替えないと、とてもじゃないけど精神もたなそうだもんね。

「火葬」の意味が後からわかって真っ青に

春日 その亀の話で思い出したんだけど、小学校に上がる前、親父の職場の友だちとかと一緒に、一家揃って箱根旅行に行ったことがあって。けっこうな大人数でね。あの頃って、団体旅行と言えば皆一緒に雑魚寝みたいなのが普通でさ。その温泉旅館はちょっと高いところに建ってたんだけど、俺ガキだったから一人だけ朝早く起きちゃって、暇だから窓の外を見てたの。そしたら見下ろしたところに犬走りみたいな出っ張りがあって、そこに人が寝てるんだよ。坊主頭で、下駄履いて、浴衣姿のまま横になってるわけ。霧雨は降ってるし、急な斜面だから、ちょっと寝返り打ったら遥か下に落っこっちゃうような危ない所で。

穂村 先生はそれでどうしたの?

春日 びっくりして母親起こしに行ってさ、「外で知らないおじさんが寝てるよ」って言ったら「何馬鹿言ってんの」って相手にしてくれないの(笑)。それでも執拗に言い続けたら皆渋々起きてきて、「げげっ!」って大騒ぎになって。親父が助けに行ったら、まだ息があったんだよ。睡眠薬自殺だったみたい。

穂村 その時は魂に逃げられなかったんだね。

春日 その人を中に運び込んだら、錯覚だったのかもしれないけど、やたらでかい人に思えてね。怖かった。結局、命は助かったみたい。親父は「命が助かったのに礼も言いに来ない!」って憤慨してたけど(笑)。

穂村 子どもの時からもうそんな目に(笑)。

春日 あとさ、子どもの頃って、火葬で肉体がなくなるという物理的な変化も、「死」そのものに匹敵するインパクトがあったように思う。

穂村 それまで肉体という実体があったのに、それが焼かれて骨になっちゃう、と。

春日 まだ小さい頃、親戚が亡くなって火葬場に行ったんだけど、まだ「火葬する」という概念がイマイチ分からないわけ。焼いてる最中、炉の方に蝋燭の形をしたパイロットランプが点いてて、そこにみんな集まっているから、なんか楽しいなぁとか思ってたの。でも、しばらく考えるうちに、その意味が分かって真っ青になった覚えがある(笑)。あれはイヤだったねぇ。

穂村 遅れて意味に気付くっていうのが面白いね。

春日 その時、火葬って、ものすごくグロいものになって出てくるようなイメージがあったけど、意外とそうじゃなくて拍子抜けもしたんだけどね。骨って、いわゆる怪奇小説の髑髏みたいなおどろおどろしいイメージがあったんだけど、焼くと、意外と抽象的なものになってしまうんだよね。

穂村 でも、感じ方には個人差があるのか、こないだ行ったお葬式で、おじいちゃんのお骨を見て倒れちゃった子がいたな。中学生くらいの男の子。たぶん、焼けた骨自体にショックを受けたわけじゃなくて、ずーっと「こういう姿」と捉えていたものが、突然まったくの別物として目の前に現れたから、そのギャップに戸惑ってしまったんじゃないかな。しかもそれが、ついこの間まで動いていた大好きな相手だったから、ショックも大きかったんだろうな、って。

春日 その感覚はすごく分かる気がする。大阪に鯨料理食わせる割烹の店があって、何年かに1度女房と行ってたんだけど、数年前に行ったらさ、そこの親父が亡くなってたんだよね。店は息子が継いでやってたんだけど、店内にその親父の顔写真が置いてあってさ。それ見たら、「ああ、あの言いたい放題言ってた面白い親父がこんな小さくなっちまったのか」って。写真であって、別に骨壷とかじゃないんだけど、なんか物理的に小さくなっちゃったのを目の当たりにした感じがして、すごくショックだった。死体とか血とか、そういう“いかにも”じゃない形で、「死」が強烈に迫ってくることもあるんだよね。

(第3回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
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