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切られた尻尾。安倍首相の愛憎と企みに翻弄された河井夫妻の末路

昨年夏の参院選を巡る公職選挙法違反容疑で逮捕された、河井克行前法相・案里参院議員夫妻。6月25日には中国新聞や朝日新聞が、前法相が「安倍さんから」と口にしつつ地方議員らに現金を手渡したと報じるなど、事件は新展開を見せつつあります。そもそもなぜ案里氏は選挙に立ち、克行氏は疑われているような「買収」に手を染めたのでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、「安倍首相の愛憎と企み」をキーワードに、事件の真相の読み解きを試みています。

安倍首相の愛憎に翻弄され、拘置所暮らしとなった河井前法相

「自民党は終わった」「変えなければ」。そう言っていた。民主党へ政権が交代した直後のテレビ映像。河井克行氏は妻、案里氏と食卓を囲みながら、新しい時代の政治家像を思い描いているように見えた。

それが、いかなる運命か10年後の今、河井夫妻は東京地検特捜部に公選法違反(買収)の疑いで逮捕され、東京拘置所のなかにいる。つい8か月ほど前、すべては法務大臣である自らの手の内にあったはずの仕組みに、からめとられたのだ。

元外交官の作家、佐藤優氏はラジオ番組で、逮捕直前の河井氏と話したことを明かした。外務省時代に背任容疑で拘置所暮らしを経験した佐藤氏は、不安におののいているであろう知人を気遣い、電話した。佐藤氏がアドバイスしたのは、なんと、水虫の予防策。

「逃亡される可能性があるから靴を取られちゃって、サンダルが支給されるんだけれど、そのサンダルが使い古しで、水虫菌がたっぷりついているんです。それで水虫にものすごく苦しめられることになるんですよ」

だから、別途、サンダル購入の手続きをしたほうがいいのだ、と。些末なことにこそ、人の自尊心は激しく傷つけられる。河井氏のほうからは洗濯について質問があった。佐藤氏は週に1回しか洗濯できないと話したという。

安倍首相は通常国会閉会の翌日、記者会見の冒頭で、こう述べた。

「本日、我が党所属であった現職国会議員が逮捕されたことについては、大変遺憾であります。かつて法務大臣に任命した者として、その責任を痛感しております…この機に、国民の皆様の厳しいまなざしをしっかりと受け止め、我々国会議員は、改めて自ら襟を正さなければならないと考えております」

拘置所ではたぶん、テレビは見られないだろうが、新聞は買える。河井氏が、安倍首相のこの談話を読んだとして、どう思うだろうか。自分が総理の立場でも、このような言い方になる、などと冷静に受け止められるであろうか。

「我々国会議員は、改めて自ら襟を正さなければ」。

何を他人事のように。案里を参院選に立候補させるよう持ちかけてきたのは、あんたじゃないか。河井氏はきっとそう思うだろう。

「官邸から『出なさい』って言われたの。『それじゃあ、出ましょうか』ってお受けしたんです。落ちたら無職ね」

 

参院選への出馬が取り沙汰されていた昨年初め、案里議員は地元の会合で支援者から出馬について問われ、いつものように明るい表情でこう答えたという

(「河井案里容疑者『出馬は官邸の意向』 昨年の参院選 克行容疑者が陣頭指揮」6月19日 東京新聞WEB)

振り返れば、2012年が河井氏の運命の分かれ目になった。この年の9月に行われた自民党総裁選は、過去最多の5人が立候補し、まれにみる激戦が繰り広げられた。

安倍晋三氏は、所属派閥「清和会」会長、町村信孝氏の出馬がほぼ決まっていたため、森喜朗氏に反対されたのを押し切って出馬した。しかし当初は不利が予想された。地方で圧倒的な支持を集めていた石破茂氏や、当時の党幹事長、石原伸晃氏より劣勢と見えた。

故鳩山邦夫氏が主宰した派閥横断型の政策グループ「きさらぎ会」の中心メンバーだった河井氏は、「安倍さんを応援してほしい」と言う鳩山氏に賛同して、安倍氏のための票集めに奔走した。鳩山氏自身は2010年に離党し当時は無所属だった。

麻生派、高村派、そして派閥横断グループ「きさらぎ会」に支えられ、安倍氏は第1回投票で2位に食い込み、決選投票では石破氏を逆転して、再び自民党総裁に返り咲いた。

この年の2月28日、安倍氏について冷たい見方を公言する自民党幹部がいた。

自民党の溝手顕正参院幹事長は28日の記者会見で、消費税増税関連法案への賛成と引き換えに衆院選を迫る「話し合い解散」に言及した安倍晋三元首相に関し「もう過去の人だ。主導権を取ろうと発言したのだろうが、執行部の中にそういう話はない」と不快感を表明した。

(「『安倍元首相は過去の人』 自民参院幹事長が不快感」2012年2月28日 日経新聞)

第一次安倍政権時、ぶざまな形で総理の座を投げ出した安倍晋三氏の復活はないとみて、当時の参院トップ、溝手氏は冷徹に言い放ったが、この記事を読んだ安倍氏には、「過去の人」という言葉が鋭く胸に突き刺さっていたただろう。

溝手氏には安倍批判の前歴があった。2007年夏の参院選。小沢民主党に惨敗した安倍首相について、こう語った。「首相本人の責任はある。(続投を)本人が言うのは勝手だが、決まっていない」。

友達を異常なほどに厚遇するかと思えば、敵対者とみなした者にはしつこく攻撃的にふるまうのが安倍首相の特徴だ。

そういえば、つい最近のテレビ番組で、元財務省官僚のコメンテーター、山口真由氏は、第一次安倍内閣で閣僚が相次いで辞任したさい、財務省のリークを疑った官邸が散々いやがらせをしてきたという趣旨の話をしていた。これでは、官僚たちが、人事で報復されないよう忖度したくなるはずだ。

河井氏は総裁選をきっかけに、安倍首相との距離を急速に縮めた。存在感を増した「きさらぎ会」は安倍応援団として、メンバーの数を増やしていった。その流れに沿うように、河井氏は首相補佐官、党総裁外交特別補佐に取り立てられ、2019年9月11日には法務大臣に任命された。

しかし、この栄達の歩みには、落とし穴が待ち受けていた。溝手氏の改選期にあたる昨年夏の参院選をひかえた同年1月、安倍首相はじっと広島選挙区をにらんだ。2013年7月の前回は、溝手氏が52万1,794票、民主党(当時)の森本真治氏が19万4,358票を得て当選した。溝手氏の集票力は驚くほどである。

いくらなんでも取りすぎだ。想像するに、安倍首相の脳裏には、何度も自分を嘲笑するかのごとき発言をしてきた溝手氏の顔と、安倍色に染めあげた自民党の力がその得票数を与えているという自負が交錯し、苛立つ感情を抑えきれなくなったのではないだろうか。

安倍首相は、河井氏の後見役でもある菅義偉官房長官と相談し、広島選挙区に河井案里氏を擁立することにした。溝手氏の票を2で割っても、26万票とれる。広島に二人立てるべきだ、と。

出馬要請を受けた河井夫妻は、意気に感じるとともに、戸惑いをおぼえたであろう。溝手氏の厚い地盤に割り込んで勝ち目はあるのか。克行氏の衆院選挙区は広島3区(広島市安佐南区・安佐北区、安芸高田市、山県郡)で、地元活動の中心はその区域だ。全県下で得票を積み上げなければならない参院選で勝つ自信などあるはずもない。

逡巡する河井氏を説き伏せるために、安倍首相は山口の地元事務所から秘書団を派遣するなど、最大限の支援を約束したに違いない。「絶対に勝たせてみせる」と時の総理にかりに言われたとしたら、その言葉にすがる気持ちになるであろう。

河井夫妻は受け入れた。あとは、溝手氏の所属する派閥「宏池会」の領袖で広島1区を選挙区とする岸田文雄政調会長を説得するだけだ。その役目は甘利明選対委員長にゆだねられた。すでに党は6選をめざす溝手氏を公認済みだ。

2月19日、甘利氏は国会内で岸田氏と会談し、二人目の公認に理解を求めた。当然のことながら岸田氏は抵抗しただろう。それでも、甘利氏は時間をかけて岸田氏に決断を迫った。3月2日、ついに岸田氏は折れ、同月13日には河井案里氏の公認が決まった。安倍首相からの「禅譲」を期待して基本政策の継承を打ち出している岸田氏には、抵抗しきれない弱みがある。

この決定に広島県連が反発するのを見越したうえで、安倍首相は手を打った。かねてから岸田氏に冷たい二階幹事長を味方につけ、自民党本部から計1億5,000万円を、河井夫妻それぞれが支部長をつとめる政党支部に分けて振り込んだのも、そのためだろう。案里氏の出馬に危機感を抱く県連が逆に溝手支持で結束を強めないよう、カネという麻薬を使う必要があった。

もとより、溝手票をうまく二つに割って、二人とも当選などという御託を信じる大甘な政治家などいない。1億5,000万円を手にした河井氏は安倍首相の意図を察した。

総理側近の自負からくる傲慢さも規範意識を著しく鈍らせるのだろう。溝手氏のことなどかまってはいられない、放っておけば溝手氏に流れる票を取り込むため、潤沢になったカネをどんどん使う、という気になったのではないか。

6月20日の東京新聞WEBによると、1億5,000万円は昨年4~6月、二人の政党支部口座に入金された。うち8割に当たる1億2,000万円は、政党交付金。残る3,000万円は党費収入などによる党本部の自主財源だったという。

河井夫妻の容疑は参院選の約3カ月前の昨年3月下旬から投開票後の8月上旬ごろにかけ、広島の県議や市議ら延べ96人に121回にわたり合わせて2,570万円を配ったというもの。春の統一地方選あたりで「当選祝い」「陣中見舞い」と言って渡したケースもあれば、地方選名目が通用しない時期には、あからさまに案里氏への支援を依頼したこともあったようだ。

6月22日の朝日新聞デジタルは、取材に応じた広島市議の証言として以下のように伝えている。

証言によると、克行議員が参院選前の昨年6月初め、市議の事務所を訪問「案里の支援は難しいでしょうか」と尋ねた。克行議員は3月下旬にも訪れて30万円を渡してきたため、市議は「こんなことをしてはいけない」と訴え…克行議員が譲らないので、…違法性を指摘した。さらに広島で起きた別の公選法違反事件に触れ…断ろうとした。それでも克行議員は「まあまあ」と封筒を押しつけ…20万円が入った別の封筒を置いていった

一方、安倍首相は地元・山口の安倍事務所スタッフを総動員して、河井案里氏を当選圏内に押し込む態勢を敷いた。そのためには、溝手氏を応援してきた企業、団体に働きかけるのが、新規開拓よりはるかに効率がいいのは自明だ。

週刊文春6月25日号の記事にこんなくだりがある。

「安倍首相の地元で筆頭秘書を務める配川博之氏をはじめ…4人の安倍事務所秘書がたびたび広島入り。案里氏の秘書と二人一組で企業や首長を回ったのです」(自民党県議)

 

訪問を受けたある社長は、小誌の取材に「河井さんの秘書だけでなく、総理の秘書が来たから会った」と素直に明かした。

ふつうの秘書だと会わない首長でも、首相の地元事務所筆頭秘書という肩書には一目置くようで、アポなし訪問でも会ってくれたらしい。

安倍首相の異例とも思える全面的な支援。妻の当選を願い自ら現金をひそませて集票活動をしてまわった河井前法相。親分子分のみごとなコラボが、自民党県連の結束を乱し、結果として森本真治候補に、前回を13万以上も上回る票を与えた。そして、長い年月威容を誇ってきた溝手氏の城郭を突き崩し、ふつうならありえない案里氏の勝利が転がり込んできたのだ。

河井夫妻は離党したが、議員辞職はせず、将来の復党へ一縷の望みをつないでいる。彼らには今でも、安倍首相の期待に精いっぱい応えたという思いが強いのではないか。

安倍首相は黒川弘務・前東京高検検事長の定年延長で検察当局にプレッシャーをかけたものの、黒川氏の賭けマージャン問題でとん挫した。そのためにかえって勢いを得た検察は、総力をあげて河井夫妻の立件に突き進んだ。

河井夫妻が悪いには違いない。しかし、安倍首相の愛憎と企みに翻弄されて来た面も否定できないだろう。

「我々国会議員は、改めて自ら襟を正さなければ」。まるで河井夫妻だけに罪をなすりつけるような政権末期の安倍首相に対し、「それでも私たちはついていきます」と言えるのだろうか。

image by: 河井あんり - Home | Facebook

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