【書評】人が死ぬことを認めない延命治療だらけの国、ニッポン

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長寿大国・日本。その背景に、医学の進歩を欠かすことはできませんが、しかし寿命が伸びることで、私たちは何か大切なものを忘れてしまったようです。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げているのは、臨床医が語った現代の医療論。読み応えのあるこの本の中で、柴田さんがより気になった「人の死」についての一遍を紹介しています。

偏屈BOOK案内:里見清一 著『「人生百年」という不幸』 

41Y6LWyF+VL「人生百年」という不幸
里見清一 著/新潮社

「週刊新潮」の連載「医の中の蛙」20172019から選んだものに加筆した40編。すべて非常に読み応えがある。考えさせられる。わたしが考えても仕方がないが。最後の「人が死ぬのはそんなに嫌か」を紹介したい。いままでわたしの家族の死は7人になるが、全て死に頃で、いわば「自然」だから何の感慨もない。

ところが、いまや死は「自然」どころの話ではなく、「見たくない」を通り越して「あってはならない」くらいの扱いを受けているようだ。神戸市須磨区で、余命宣告を受けた末期患者とその家族を受け入れ、介護や看護を実費で提供する「看取りの家」施設が計画された。まことにけっこうな話である。ところが、住民の猛反対に遭い、計画はけっきょく頓挫してしまったというのだ。

事業者側の説明会の申し入れを住民自治会は拒否し、揉み合いで警察まで出動したという。主な反対理由は「住宅地に死を持ち込むな」だった。ある住民女性は「必要な施設だが離れた場所につくって欲しい。見える範囲でなければあってもいい」と語ったという。“NIMBYnot in my backyard”、自分の裏庭には嫌だ、という言葉があるが、彼女のセリフはそれの最たるものである。

例によって新聞は、誰に何を遠慮しているのか、事業者側の手続き的な不備を含めて中立「的」に報道している。これが、「裏庭に米軍基地ができてうるさい」とか、「原発ができるのは不安だ」とか、「兇悪犯専用の刑務所ができるのは怖い」とかいうのなら理解はできる。しかし、よりよき死に場所を求めている人に「自分の近所で死んでくれるな」とは、何たる言い草かと著者は怒る。

それなら、孤独死しそうな独居老人を近隣から追い出す方がはるかに理にかなっている。死んでから数か月もたって発見されたりすれば後片付けも大変だ。一方、施設で家族に看取られる病人が、コミュニティにどういう迷惑を及ぼすというのか。

この計画では5人程度の受入れだったそうで、せいぜい亡くなるのは週に一人だろう。大きな病院ではどこでも毎日、死亡退院が出ている。

「死を日常的に目にするのがつらい」という住民コメントは、ほとんどビョーキだ。そりゃ、若い人や子どもが事故や犯罪の犠牲で死ぬのはつらいが、不治の病の人がやすらかに臨終を迎えたいというのを「どこかよそで死んでくれよ」と喚き立て、警察沙汰にしている人たちの神経はとうてい理解できない。著者は「現代の社会は人が死ぬことを認めないかのようである」と書くが……

いや、認めないのではなく、死から目をそむけたいのだ。それは人命を軽視していることだ。

お疑いの向きは、「人が死ぬことを認めない」現代の延命治療の現場をご覧になればよい。そこで「命」が尊重されているように感じられるだろうか?

わたしは癌で死にたい。痛くない癌ね。そして治療しない。すぐには死ねないから、ぎりぎりまで人生の整理ができる。いいね。

編集長 柴田忠男

image by: Shutterstock.com

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