現代においても、日本の天皇は海外では「皇帝」と呼ばれています。なぜ、「キング」ではないのか気になったことはありませんか? 今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんが取り上げている一冊では、そんなちょっとした疑問も含めて日本史における謎を科学的に解き明かしています。
偏屈BOOK案内:本郷和人『空白の日本史』
『空白の日本史』
本郷和人 著/扶桑社
現代人があたり前のこととして受け入れている日本史には、実は数多くの「空白」が残されている。筆者は、科学的歴史、祈り、文字史料、国家空間、軍事史、文献資料、女性史料、真相、研究史の9ジャンル150本からなる「歴史的空白」を設定、科学的な根拠と論理に基づき独自の解釈でその「穴」を埋めていく。
日本の天皇はなぜ「キング」ではなく「エンペラー」なのか。明治政府は日本が万世一系の天皇を頂点にした統治国家であることを、強烈にアピールしようと考えた。生まれたての近代国家が、国内外にむけて日本のオリジナリティや存在感を示すために、日本国が長年にわたって天皇家というひとつの系譜に連なる血筋が治めていることを、最大限に利用しようと考えた。
明治政府の活動が奏功し、現在でも日本の天皇は、海外では「皇帝(Emperor)」という称号を得ている。英国王室のエリザベス女王の称号でさえも「女王(Queen)であって「皇后(Empress)ではない。現時点では世界中でこの称号が使われているのは、日本の皇室だけである。世界一古い王家であることは間違いない。
近世の歴史研究家の間で、「日本には鎖国はなかった」というヘンテコな議論が進んでいるそうだ。彼らの主張としては「日本とヨーロッパの関係ばかりを見ているから、鎖国に見える。でも、日本とアジアの間では貿易はある。ならば、鎖国はなかった」というもの。ふーん、初めて聞いたが、やはり左側からの声だった。
「史料を見る限りは、どう考えても日本人が積極的に海外と貿易をしていたとは言えない。それなのに、なぜ近世の研究者たちは『鎖国はなかった』と主張するのでしょうか」「それは、福澤諭吉が提唱した『脱亜入欧』の断固たる否定で、イデオロギーの産物のような気がしてなりません。
これこそが、『日本に鎖国はなかった』説の本質です。(略)こうした左翼的な考え方、すなわち信仰に近い考え方に、実証的な学問が振り回されてしまっている部分(マルクス主義的な歴史観)は皇国史観と何も変わらない。近代史は、唯物史観の発想をもつ歴史研究者が主流を占めているからこそ、余計にそういう傾向が強いのかもしれません」
皇国史観やら唯物史観やら、歴史観の制約は「科学的歴史の空白」を形成している。ちゃんと史料が残っているのだから、左右ともに偏向した歴史観によって史料の空白を生み出すのではなくて、科学的な手法に則って、史料に基づいた歴史分析をすることこそ、現代の歴史研究者たちに求められる視点だ。
編集長 柴田忠男
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