知って納得。国民年金の加入義務化を喜んだ日本の記憶と岸信介の悲願

 

ただ、この頃はサラリーマンや公務員の専業主婦は国民年金には強制加入ではなかったが、この任意の加入だった専業主婦の人達の加入の増加により国民年金の財政が何とか支えられていた。

この任意加入の人達は大体200万人程でしたが、昭和50年には600万人ほどになり、昭和55年には780万人、昭和60年には750万人というふうにかなりの人が加入していた。昭和50年から国民年金強制加入の人が減少していく中で、専業主婦の人達が国民年金財政を支えていたわけですね。でもそういう人達は、あくまで任意の加入だから将来的に加入者が増えるのか減るのか確実性もなく、それに国民年金財政は変わらず危機的だった。

そこで昭和60年改正(昭和61年4月施行)により、国民年金をその名の通りすべての産業に関係なく共通部分の年金(基礎年金)として各年金制度(国民年金、厚生年金、共済年金)の加入者の頭数に応じて拠出金を出し合い、国民年金の基礎年金を負担するという形に変わった。これにより国民年金財政は産業の影響を受けない安定したものとなった。

また、共済年金というのはそもそも公務員の福利厚生のようなものでしたが、厚生年金や国民年金に比べて給付がとても高くて官民格差を是正せよ!っていう声が昭和50年代になってくると強くなってきたから、共済年金もこの基礎年金に乗ってきた。共済年金が公的年金的な色を強める事になった。

まあ、共済年金は昭和59年4月に国家公務員共済組合が統合した国鉄共済組合というほぼ財政破綻していた共済組合を抱えていたから、この機に共通部分の年金は各年金制度が負担しあうという基礎年金に乗ってきたという理由もある。

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