昭和60年の年金大改正は国民年金財政を救うためのものでもあったが、この改正の時に今までサラリーマンの専業主婦は任意加入だったのが強制加入となり、また、20歳未満の傷病による障害者の人には低額な福祉年金を支給するしかなかったがそういう20歳前障害の人にも給付の高い障害基礎年金を支給する事とし、大幅な障害年金の改善が図られた。
昭和60年改正の時は中曽根康弘首相の時ですが、中曽根首相の大きな政策は赤字続きだった国鉄や、電電公社(今のNTT)、日本専売公社(今のJT)の民営化がよく挙げられます。しかし最大の政策は基礎年金制度の導入だった。
昭和50年代まで引き上げすぎてきてしまった年金給付の削減をして少子高齢化に耐えうる大手術を行い、バラバラになっていた各年金制度の中に共通部分を作って綺麗な形にした昭和60年改正は年金の歴史上では最高の知恵だと思う。年金にはいろんな改正がありましたが、この昭和60年改正ほどスゴイ改正は無かったと思う。
この昭和60年の年金大改正は山口新一郎さんという年金局長だった人が癌と戦いながら命を懸けて作り上げたものですが、昭和59年の国会に出す前に亡くなられました。しかし、その内容は非常によくできていたため基礎年金制度は山口さんを引き継いだ部下の人達が法案を通し、可決されました。
しかしそんな、年金史上最高の知恵も少子高齢化の予想をはるかに超えた進行でその後も大きな改正が行われてきたわけですね。でもベースは全て昭和60年改正の基礎年金です。
なお、昭和60年からある出来事でバブル景気へと突入する事になり、旧大蔵省の稚拙な規制のせいでバブルは崩壊し長引く平成不況が始まる…。バブル経済の流れと年金の事については、12月30日発行の有料メルマガで特集します。
12月30日発行の有料メルマガ『事例と仕組みから学ぶ公的年金講座』第170号は「バブルの始まりから崩壊までの流れと年金制度、その後の最大の問題であった少子高齢化と平成不況(年末特集)」です。
それではこの辺で。
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